panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

少し残念に思う秋の到来?


  肌寒いがやはりねっとり蒸し暑い感じもする。でも7月末の狂気の夏から比べると、衣類を身に着けていることが可能な人間的レベルに気温が変化していることは明らかである。
  そしてその速度が意外と速いので、少しあせる。首都圏にいなかった間のことは知らないので、急に温度が下がってきた感じがするわけである。でもそれがポキを追い詰める。
  この調子でいくと9月の半ばはきっと、それほどの暑さではないかもしれないからである。ようやくそういう段階に達して、おそらくもっと暑い熱帯に行くかと思うと、非常に残念というか、これは公式的な表現にとどめているわけだが、ち〇しょう!といった極端に激しい感情がわいてくる。
  ポキはもう102歳の老人である。熱帯を汗かいて歩いているときに、一種のプロテスタント的な苦難の神義論下にあるかのようなマゾヒスティックな喜びに打たれるということはもうない。ということは、もっと南洋に好意的だった過去には、確かにその苦しさが、神の与えた苦難に耐えて信仰証明を行っているようなキリシタン的な精神もあったように思う。でもそれは、普段楽な生活をしているので、この期に及んでは、つまり東南アジアでは、少しは苦しい思いでもしないといけないよね、みたいな感じでそうだったに過ぎない。もしずっとこのまま、秀吉の禁令みたいなのが出て、一生東南アジアに幽閉されたらと思うと、気が狂うかもと思ったのはハノイだったか、ホーチミンだったか、いずれにしてもベトナムでだった。
  というのもあの暑さに加えて、バイクの精神の変調をきたすような騒音に突然気づいて、その静謐さのなさに呆然となったからであった。それまで、テレビの旅番組のように、騒音関係は聞こえていなかったのである。ポキには。むしろ倦怠をもよおす南方生活の静けさみたいな、天国的なことを思い、それが現実に作用して、うるささには拘泥してなかったのである。
  思えば不思議なのだが。しかしそうだっのである。
  しかし今は違う。もうあの騒々しさにはついていけないし、神経がやられてしまう。老化したのか、現実的になったのか。いずれにしても初期高揚段階が終わって、当たり前の東南アジアに接すると、あらゆる文化的違いの面白みは消えるか減少し、またあの暑い日差しのなかをクタシーなしで歩くのかといった困難を予想するに至っている。
  タクシーにのるのは非常に精神的に消耗する出来事で、そのことをそういえば函館のタクシー運転手と話し合ったことを覚えている。アジアの外国人旅行者はタクシーに乗らないということから話がはじまったのであるが。つまり彼らは日本のタクシーもあっちのタクシーのようだと思ってるということである。ということは、やはり彼らもタクシーに精神的負担を感じていたのか。ふーむ。
  というわけで、暑いまま10月を迎えろ!といったやけっぱちで合理的な期待のもとに、今のポキはあるのである。このまま暑さが続き、日本でもフィリピンでも同じような暑さに打ちひしがれるという状態をまったく極私的に望んでいるのである。・・・なんという非国民なのであろうか。恥じて筆をおくことにしよう。
  崖っぷちホテルの二人。川栄李奈浜辺美波。後者が18歳だと知って、まったく驚いたのは今日である。日本のドラマに論評は必要ないが、美男美女の集うドラマだった。その点は見ていて気持ちがよかった。同じタイプの人間として。・・・・ぐあははははははははは。