panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ようやく夏休みを味わう



  今日が9月1日であることにさっき気づく。ほほほ。もう少しで2日ではないか。1日には書くことにしているのであるが、とくにないのである。備忘録としていくつか。
  1)昨日オイルを変えた。函館のタクシー運転者がいうには、こまめに整備していればタクシーは30万キロいくのだから、16万キロでおびえることはない。ちなみにポキの車は16万キロをこえている。オイルを変えたのは、今年度中に車を買い替えることにしていたのをやめるかという、大胆な考えがもちあがってきたからである。自家用タクシーとして20万キロをめざすか。いずれにしても、毎日乗っているにもかかわらず、車に金を使うという気はまったくない。💿(CD)が何枚買えると思ってるのか。車一台で。
  2)老害と独裁という点からアエラは一連のスポーツ界の不祥事を分析している。(
https://www.msn.com/ja-jp/sports/news/体操、ボクシング、レスリングで相次ぐパワハラ-スポーツ界の“老害”を伊調馨問題の告発人が読み解く/ar-BBMJ51h?li=BBfTjut&ocid=spartandhp#page=2)。でも果たしてこれでいいのか。老害というより一貫した害なのではないか。
  3)昨年の今頃は手術で入院していたか、退院してきたところであった。そう思うと、いま現にこうしていることの平凡な幸せをかみしめたい。と思うだろうが、そうは人間、なかなかいかない。これはこれで、いろんな不満を呼び寄せるような事態が平凡ということなのだ。しかし興奮、刺激、不安、喜びは案に反して、そのものとしては幸せにはつながらないのである。そのくせ平凡さそのものにも幸せを感じることはやはり難しい。なにせ平凡なんだから。
  ここで、夏の長い休みの一部を母ユリの実家で過ごすという子供には旅行と思える、そんな旅から帰ってきた親たちが、やっぱり家が一番とよく云っていた昔を思い出す。なら行かなければいいのではと小学生のポキは思ったものだが、それは刺激と興奮と不安と喜びの一時が終わってはじめてそれらを回顧的に体験して面白かったと思えるような平穏な場に戻ってきたということであって、これが幸せの条件だということに、ようやく102歳の今頃になって、深く気づくことになった。・・・だから懸命な人間は平凡さこそありがたい僥倖だと思うべきだなのである。
  [途中3)のところで何行か消えた。文意が通じなくなっているが、ま、云っていることはいつもとおりである。書き直して再現するほどこのブログに入れ込んでるわけではないのでそのまま]
  この二つの映画は高校か大学時代にみたのだが、いずれも映画館。ドヌーブは結局一回もファンにはならなかったが、相手役がいいので、見に行った。しかし今から思うと、題名のつけ方がいかにも映画的だった。暗くなるまでこの恋を、なんてどういう意味かははっきりしないが、冬を舞台にした寒い映画だったことは覚えている。とすれば、ロマン座かなあ(函館)。見たのは。でも今日の題名のつけ方にくらべて、何か喚起するものはある。もう一つはパリに行く話。まだパリが素敵なところだと思われていた遠い昔の映画。(いまみると、暗くなるまでこの恋をは原題がミシシッピーの人魚なのだなあ。あまりのギャップに、何十年もしての困惑)

  遅ればせながらみた。西遊記。第1第2。2作。続けて。少林サッカーの監督らしいが、笑ってしまった。そういう人らしいが、シンゴジラなんかと比べると、もう比較にならない。妖怪と怪獣では違うといえるが、奇想天外な妖怪オンパレードで、これではもう香港映画にはかなわないと思った次第。そもそもシンゴジラみたいな映画を持ち上げるのが間違っている。