panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

苦しい、東京の温暖さ

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E6%A5%B5%E5%AF%92+%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa#mode%3Ddetail%26index%3D48%26st%3D1557旭川の写真らしい)
  仕事の準備をしながら、東京まで出てすぐ戻ったのだか、うーん、何だこの温んだ大気は。
  そしたら、寒い寒いと労働者風の男が歩いている。うーん。なんて弛んだ地なのか。
  東京には冬がないというのは、誰しも北海道人なら思うところであろう。そのことがつらい。朝起きたときの身も震(ふる)うような強烈な寒さを思うと、そして今はこんな温暖な冬に恵まれていることの断絶が、ひときわ、つらいのであった。
  このやるせない思いについては、なんかしつこく書いてきたが、今回は北海道も結構ポキたちに優しかったのだが、そうではあっても肉親を極寒の地にもつ身には、それは一時的なことであって、やるせなさはどうやってもつのるである。
  どうやっても生まれによって制約されているのが人間なのである。啓蒙主義だとかグローバル化だとかコスモポリタンだとか、まことにしゃらくさいわい。と小林秀雄ならいうだろう。というか代わりに云っておいてるからね、小林君。ここでポキは怪人20面相か?と一人突っ込みを入れたいのだが、まあ、大半はわからないだろうなあ。
  ヴェラチーニのバイオリン・ソナタを聴きながら。夜11時近く。