panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

どうしようもない国家と政治の腐敗


  朝、また7時過ぎには職場について、会議を行う。ただし9時15分からだが。ここ20年でもっとも早い時間の会議ではなかろうか。それを夏休み最中に行うという。これを過酷だと思うポキはもういない。退院したあとの我輩はもう2時間前に出勤して用意万端整えているのである。
  とはいえ、30分もすると、会議は終わり、アホな朝を過ごすことになる。あー、馬鹿らし。
  いずれにしても役職にかかわる今週の仕事は今日でもうない。来週もない。要するに解放されたのである。もちろんいろいろやることはあるのだが。ということで、また明日、斉藤ユキ不倫現場の一つである黄金町の映画館で東南アジア映画をみようかと思い、チェック。
  これ(「ローサは密告された」)を1時半くらいにみて、香港映画『十年』を5時過ぎにみて、7時からナチス映画をみると3千円をこえてしまうなあ。というか一日終わっちゃうなあ。やはりフィリピン的腐敗映画だけに絞るか。返還後の香港の混迷の未来を扱った十年も捨てがたいがなあ。
  ヴィヴァルディのバロックオペラを聴きながら、東南アジアの腐敗について考えルわけである。ポキはフィリピンをみて、東南アジアへの援助は不必要だと最終的に思い定めた。思い、定めたのである。圧倒的な大都会ぶりが一方にあるのに、駅ごとにスラムが広がっているこの国のシステムの問題を、個々の援助でやったって腐敗、格差、貧困、絶望はどうしようもないからである。自分たちで自分たちのことはやれ、と思って帰って来た。
  というか無事、帰りの飛行機までたどりつけますようにと、午前4時までうるさいホテルの一室で、キリスト教に一時改宗するつもりで、とにかく祈念したことをいま、思い出す。若人も10名近くいたし、これではいつ警察に踏み込まれるかとヒヤヒヤしたものであった。
  といっても何か悪いことをしたわけではない。警察がそもそも東南アジアでは悪いのである。そしてその元締めの国家が近代国家として成立していないのである。だから巨大な悪と少々の善が東南アジア国家の二つの顔をなすのである。
  とはいえ、アジアだけでなく、南米でもアフリカでも国家はヤクザな組織なのだが。