panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

暑い。12月19日午後。


  今日も仕事でやってきた。明日は仕事だし、水曜日は休みたい。木曜日は出てくるが、金曜日は休日だ。・・・・できれば週日も心身慰労についやしたい。って、非国民か。ますます日本人の労働生産性がさがる。
  丸山真男大先生が戦争時の身近な死者たちに配慮して戦後焼け跡民主主義にこだわった結果、戦後から置いていかれたと『丸山真男の敗北』で主張されている。死者を代弁するということはどういうことなのか、ということである。死者を代弁していると思うこと自体を疑わなくてはならない。
  同じことはヘレン・ミレン主演のクリムトの有名な絵をめぐる『黄金のアデーレ』でも少々瞬間的に問題提起されている。黄金のは、わがほうの長老が例によって「絶品」という映画だが、シェーンベルクの孫の法律家がウィーンでユダヤ虐殺にめざめて成長する物語でもあるが、果たして死んでしまった人間たちが戦後に何を期待しているかははっきりしない。死者は単数ではないし、死者はもう死んでいないということでもある。
  丸山が大秀才ではなかったということと相関してこうした敗北宣言がなされるのだが、この著者がなぜ教職につけないかという理由もある程度推測される。強い主張をするべき大事なときの論拠に、岸田秀とか神戸女学院大学名誉教授の例のためらいの人の本が引用されるという致命的ミスをしているからだ。こういうちゃんとした研究でないもので研究中の研究である丸山を批判しているのか。と、読み手、つまりポキはハシゴをはずされたようなガックリくる感じがする。
  学問世界で岸田とか名前も思い出せない彼をあげるなど、もっての外なのである。アホなのか。その素人くさいところが、結構綿密に丸山を扱っているのに、ギャフンとなるところなのだ。ってちょっと厳しすぎるかしら。でもねえ。誰か指導してやれなかったのか。
  写真は今年最後にたのむヴィヴァ君のもの。これで大半は揃う。でもやはりジュノーとケルメスの圧倒的な力を凌駕する歌い手はいなかったということであるなあ。