panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

週末をやはり心身ともに癒すだけについやす


  NHKで昔の『新日本紀行』をやっていて、ポキが大学院に入った年の那須高原が出てくる。老婆二人が歩いて湯治場をめぐるドキュメント。アナウンサーは敬語(ございますなど)を使い、画面はこれが江戸時代でもおかしくないような牧歌的な風景。
  思わず見とれるというより落涙してしまう。大学院に入った時代がもう回顧の対象であり、その風景が現実とは思えないような天国的な農民、農村の風景だからだ。当時も将来はそうなるだろうという予感があり、近大主義者、いや近代主義者であったポキ(どうして近代主義以外で当時の大学院が受け入れてくれるものか)は、絶対に回顧の涙は流さないと、わけもなく誓ったものだった。そういう歴史感覚は当時からあったのだが、結局、その感覚と決意通りにはならなかった。
  方言で放言している婆さん二人が生き生きとして、こういうのを丸山真男にもっと知ってほしかったと今では思う。すでに農村に(本百姓)自治という民主主義は存在し、それが占領軍的民主主義の、小学校の標語のようなうわっすべりな民主主義とはくらべものにならない実質的な平等を実現していたわけだから。『丸山真男の敗北』という出たばかりの本を読みながらテレビを見ていたわけなのである。
  たまたまテレビをみながら、聖徳太子的ポキはうどんをつくって食べてもいた。三重苦ではなくて、愛の三重奏なわけだ。そのときは昆布の最高峰真昆布をたっぷり入れた讃岐うどんであった。そして午前中には、昨日もらった果物のなかの果物、まさに洋梨の最高峰ル・レクチアを一個丸々一人で食べた。
  何を云いたいかというと(よくこういう言い方を頻発している人がいるが)、ポキの最高峰の時代はすでに中学時代に実現していて、あとは惰性というか競争社会のなかで他人を見よう見まねで受験勉強をし、そして惰性がつづいて留学し博士号をとらないと就職できないといわれて論文を促成し、その後はずっと勉強したくない若人のまえで虚しい言説を吐いてきた。これもすべて他の人がやるようにやっていたにすぎない。そしてそれが何か将来の明るい世界の段階になるかともわずかだが思っていた(昔の我が家にはもらった真昆布はあげるほどあったし?、洋梨は山のようにお中元でもらったのだから。でもいまや真昆布も洋梨もきわめて高価だ。真昆布で普通の人が買えるのは養殖昆布である。天然ものは大阪の問屋におろされる)。
  しかしもっとすでに失われたものにポキ達の愛すべき世界と人間がいたという感をますます強くする。この71年は成功だったのか。それとも丸山真男先生同様に敗北だったのか。
  またヴィヴァ君オペラアリアが3枚届き、この分野ではポキにとっていまが最高峰ということになるだろう。これから夕方と夜にかけて静養と称して聴くことになる。うーん。この部分だけがポキの喜ばしき戦後なのだろうか。