panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

仲良くすることを強制される社会


  この定義は神島二郎による、日本という「孤島状況」の馴成社会をいうものである。いい得て妙であるが、ポキは全然気づかなかった。100年くらいは。でも昔読んだ本で知ってはいた。忘れていたが。忘れるだろ?昔のことは。いまさら思い出して、見事な定義だと思うのはアホだが、やはり見事だと思う。
  ところが文化的精神的発達度の低い、でも何とか暮らしてきたポキは、仲良くする「女々しさ」が男らしくないと思ってきた。え?つまり中国人が日本人は女性的だというのと同じような印象を在日日本人として思ってきたのであった。くっそう。
  同様に、日本語も女性的だと思われているようで、今日は石平(平太郎と改名)の自伝「私はなぜ『中国』を捨てたのか」をざっと読んでいると、やさしいという言葉が中国語に表現できないというのをみつけた。甘えは西洋人との対話で土居先生がみつけるものだが、石先生からすれば、やさしさもどうも日本的だということである。
  論語を日本で改めて知って愕然としたとかいろいろいいことが書いてあるが、やさしさを形容するためにシナ語の最上級の言葉を10も連らねて辞書では解説してあるということである。
  ーん。そんなものか。いずれにしても仲良くすることはまっぴらであり、やさしさにはアレルギーのあるポキはやはり宇宙人なのだろうか。とすれば鳩山チーパッパ先生と連絡し合うことが必要なのだろうなあ。悲しい。週末の悲哀。
  ちなみに仁と恕(じょ)という儒教の精神がやさしさに通じるということであるが、古代以前だもんね。それは。