panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

旭川の惨状

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  やはり旭川西武デパートがなくなることになった。解説をみると、2008年のリーマンショックが原因で丸井今井という北海道随一のデパートが2009年に撤退し、そして最後のデパートである西武が今年9月に撤退という。
  そもそもスーパーの傘下にあったわけで(西武は)、それだけでも改めて時代を感じるが、なくなるというので一層の感慨にひたるわけである。これで道北にデパートは一つもなくなる。
  考えてみれば、函館にもある時期なぜか西武が進出して、短期間だけ存続して撤退した。短期といっても10年以上は続いたのか。よくわからない。我輩が最後にそこに行った記憶ははっきりしているし、その後継場所にゲームセンターがオープンしてダーツをしたはずである。そういえば三越の変形パージョンみたいなのも函館にはあったわけであるし、子供時代はデパート時代だった。いっぱいあったのである。
  いま五稜郭丸井今井に行くと、悲しさがつのる。十字街にあった初代の時代に我輩がだだをこねて大人用の自転車を買えと泣くので母(ただし実母。養母はいない)に放置され、叔母が幼児の我輩をだいて帰ったという有名な逸話がある。ひどぐね?親。
  しかしこの逸話、有名じゃね?首都圏でも。・・・じゃないとすれば、正義はいつか勝つ。うん。
  しかしデパートで買い物して食堂でパフェだの五目中華を食べるだのといった一時代の風俗が確実に消えたのであるね。道北では。ちなみに母(例の実母)の母(つまり祖母)は旭川育ちである。
  といっても誰の関心も呼ばないか。祖母は教科書に出てくるフビライそっくりで、そのためなぜか中学の我輩はもしかして我輩の一族はアイヌではないかと妄想したのであった。何かこの辺の論理に無理があるわけだが、そこは辺境のプリンスだから、我輩は。

  どうもこの写真の右の赤いエムの字みたいなのが旭川丸井今井だったようである。それともただの首都圏のマルイであろうか。違うとおもうが。