panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ブラジルオリンピック女子サッカー予選はじまる

  
  今日は緒戦の対オーストラリア戦女子サッカーの敗北の日だった。夜、久しぶりに勝負事というものが嫌いだという深い=不快・感覚を味わう。負けるにしても勝つにしても、競争とか動員とかしまいに切磋琢磨(せっさたくま)とか競うとか(あ、競争か)、そういうのが好きな人も含めて、争いごとは全体に敬遠したいと常々思っているわけだが、近代と国家と競争と動員と戦争は不可分なので、そういう現実のなかをいかにくぐり抜けるかを考える一生だったなあとか思うのであった。以上。
  以上となってしまうと終わってしまうが、意欲的、ポジティブ、開かれた、目標、積極的、前向き、結果など、この種の言葉を一切抹殺しても、我輩は困らない。困るという人もいらない。どうしてこういう坂本龍馬のような用語系が受けるのか、辺境北海道からやってきた男、つまり我輩だが、我輩にはさっぱりわからない。
  じゃ出てこなければよかったじゃないかということになるが、おっしゃる通り、いつでも帰ろといわれれば帰っていいが、今日から明日にかけての吹雪のありさまをみると、さすがにびびる大木。
  でも吹雪の中の閉ざされ感というのが、実はたまらない喜びでもあるのだ。閉鎖愛好家にとっては吹雪は鎖国と同じくらい、魅惑的なのだ。・・・これって我輩の商売からしてまずいのかもしれないが、そういう一生だったわけで。常々すまんこって。と、思う深夜。