panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

文明としての一国日本


  和風総本家の日なのだなあ、木曜日は。録画したことはないが、たまに瞬間的にみて、自分がまだ日本のいろいろなことを知らないことを知るにはいい番組だと思う。今日は大牧温泉が出てきた。一度は行きたいと思っていたが、冬も風情がある。富山は深みのある県だ。
  その前、夕方、食事している最中、テレビで新鮮な魚介を食べに東南アジア各地から訪れる人々の感想が特集されていた。香港、マカオシンガポール、マレーシア、タイ、台湾(タイがあったかちょっと不安だが)。いずれも自分の国では食の安全性が疑問で、日本はその点安心だという。え、台湾もかい?
  一昔前、我輩は東南アジアといえば安く魚介類が食べられると思っていた。事実、食べられたのだが、あるとき(前にも書いたので詳細は省略)、海老があまりに薬臭いのがわかって、それ以来、警戒するようになった(タイの比較的高級店なのだが、高級でも安心できないところが東南アジアということか)。それで、ある意味、我輩の東南アジアは半分死んだも同然となった。もう半分は外で飲むビールだが、いまやその関心も消えつつあるから、我輩の東南アジアは瀕死の状態なのである。
  というわけでいまやそれらの人々は日本に新鮮安心なものを求めてくる。果物や神戸ビーフもその対象になっている。果物までも。マンゴーは昔は日本人のあこがれだったが、高い苺やメロンを買う東南アジアの人間がたくさんいるらしい。マンゴーより桃だというのは我輩の年来の主張である。・・・ふふふ。どうだ。正義は勝つ。勝つである。カツではない。ここ一番。
  考えてみれば、年末のデパートをみればわかるが、これほどさまざまな文化項目に彩られた国はない。ヨーロッパにはいろいろあるが、それもヨーロッパ全体としてにすぎない。日本はこの小さな領土にいっぱい宝物がつまっている。ジパングなのではないか、やはり日本。もしもっと大陸から遠ければフィリピンとなり、近ければ朝鮮となっていたであろう日本の絶妙の地理的距離が世界に二つとない宝の島に日本をしたのだなあとあえて思う。思おう。