panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

近代社会をつくったのはキリスト教だとする説


  どうしたことだろう。昼過ぎにくるという約束なので、昨日に続いて、我輩はへとへととしながら?やってきた。だがどうやらこない。2日が1日の原則だということを知ってほしいわけではないが、どうしてこないのであろうか。非常にわけがわからない。
  近年は近代社会はキリスト教を振り切って成立したのではなく、キリスト教から不純な要素(スコラ哲学のギリシア思想による部分。たとえば天動説など)を切り捨てていこうという動きの中で生まれたという説が強い。弱いかもしれないが、強くなりつつある。だから産業革命がなかったように科学革命もなかったのである。それはキリスト教純化運動という中世末、スコトゥスやオッカム以来の流れの中で生まれた。科学も技術はある意味キリスト教あったれば生まれたということなのである。
  まったく諸行無常じゃね?どうやって歴史の体系をつくればいいのか。次々と覆される西洋史的命題。あー、疲れる。からだもあたまも。
  ロッジデール・パイオニア協同組合の写真。我輩の実家にはこの手の本が何冊かあった。母(ただし実母。養母はない)が読むのではない。父(ただし実父)の思想的基盤である。こういうのはアソシエーショナリズムといってマルクスプルードンの構想した新しい社会の基盤となる組織だった。これが実際はアナーキズムの思想なのである。こうした自発的結社の連合によって国家の存在に大きく頼ることなく自由で平等な社会をつくり運営することである。
  国家に頼らないということが無政府主義と誤って喧伝されるわけだが、いたって穏健な思想だと思う。アナーキズムは。
  でも国家は暴力の国内的国外的侵害をくい止めるためには絶対に必要である。パリでもシリアでも。イラクで強い国家がなくなったことがイスラム国台頭の理由である。アフガンのアルカイダしかり。
  ちなみにその後実父(ただし養父はいない)は二宮金次郎のだと思うが兵庫の報徳会などの一員となっていた模様。これは調べたことはないが、エリート企業ではないような団体の幹部職員のための心得を伝達するものであったのではないかと思う。いずれにしても地方を豊かにしかつ平等な社会をつくろうとする、戦後あまたいた有為な青年、その後中年勤労者の一つの遍歴であった。社会党から自民党へと投票行動も変化したが、それは現実的な大人の当然の変化であった。総じて日本社会が自民党的豊かさの実現と歩調をあわせていた大時代に生きて死んだということだったなあ。
  ということを暇なんで考えた。もうほんとにこないのか。ああ、損した。疲労を覚える。