panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

隠れて生きる


  隠れて生きるはデカルトもモットーとした古典古代の言葉だが、我輩の当てにならない記憶ではオヴィディウスのものだったように思うが、そこには出てこない。写真がそれ。前に別の人の言葉としてある人が引用していたのでイチャモンをつけたのだが、怪しくなってきた。
  今日は文字通り隠れて生きる日である。午後に月一の長い会議があって、これがほとほといやなのである。ほんとは自宅待機のはずでもあったが、大森にものを運ぶ必要からやってきたわけである。夜になったら大森へ出発。
  車で行くのだが、第2京浜、つまり一号線、つまり桜田通りをいくわけである。いったん高輪台の上に出て、そこから一挙に五反田までまっすぐ下るとき、信号はほぼ青である。それは爽快である。はじめてでもないが、車を運転して爽快という感情をもつ。
  いつも飲み会では五反田の交番のところまでお願いしますといいタクシーにのり、その結構混雑する場所で降りてタクシー代の清算をするのでごちゃごちゃしてしまう場所を、すっーと一直線に駆け抜けて環7とぶつかる馬込のところを降りることになるのだが、環7もまた環8なんかとくらべるととても落ち着いた道路だし、大森まではなかなかのドライブなのであった。
 じゃまた。