panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

樋口隆一先生の最終講義を聞く

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  今日は朝から夜まで超多忙だった。朝から東へ西へまた東へと東京中をかけめぐった。久しぶりに首都高にすら乗った。高速道路からみる東京はまさに大都会。もうアジアへいく必要もないほど、アジアの大都会を堪能した。マニラ何するものぞ。バンコク、クアラルンプール、ジャカルタ何するものぞ。・・・ちなみにジャカルタだけは行ったことはない。ものの勢いである。
  行ったことはないといえば、今日甲州街道を西進していて、はじめて電気通信大学を発見した。後に(つまり今夜)、テレビでマレーシアのことが出てるとメールをもらった大人物はここの出身である。なるほど便利なところにあるなあと感慨にひたったのは昼前だったが、テレパシーが伝わったか。ん、テレパシーが伝わったは表現が変か?
  ともあれようやく4時から都内某所のバッハ研究者樋口隆一先生の講演会(?)に間に合うよう都心に戻ったのだが、これほど激しく盛況な最終講義というものをみたことはない。大教室一杯の観客。・・・親戚が多いのか。まさかなあ。
  ともあれこれが感動的でまことに面白い。寄席の一席、あるいは一服の清涼剤、もしくは要するに最終講義というのだからやっぱり講義?2時間自分のことを話すという離れ業だが、飽きることはなかった。
  そのお話で印象的だったのは、研究者に必要なのは忍耐力ということが一つ。その場にいなかった方にもお伝えてしおきたい。その後のレセプションのため中座した方も多かったろうから。もう一つは人生は出会いだということである。
  もう一つのほうは、正確には、人生の成功は出会いが多い方がよいということなのか。あるいは、人生の豊かさは出会いを大切にしたいということなのか。はたまた、出会いを大切にしないと人生はうまくいかないということなのか。
  「人生は出会い」はある意味日本の成功者のみならず世界の成功者の常套句ともいえよう。そして成功した人生には多くの助けが必要なのだから(ニュートンをみよ。ニュートンを囲む小集団がなければニュートンはただの変わり者の科学者として、その発見した内容ともども、埋もれていたと云われている)、人生の成功者には出会いが多いということは事実だろう。しかも自伝や回顧録は人生の成功者が書くものである。その結果、書かれたものには、ますます、人生における出会いの意味合いが非常に強調されるものが多いということになる。では、出会いのない人生に成功はないのか。
  出会い、かつ出会いを維持することの人生のコストは並々ならない。そうしたものより、一人でやるさという選択は、しかし、ニュートンが発見したことを発見する小集団(つまり出会い)がない以上、評価されない可能性はある。しかし出会いに伴うこのコストは、結局、相当なものではないかという気も一方ではする。それほどのものか出会い?
  積極的で明るく、協調性がありリーダーシップも発揮し、思いやりがあっておまけに独創的な、なんてかなりなコストだと思うのだが。人生は就職面接の連続なのかという気分にすらなる。
  でもいまあげたような徳目はまさに日本人論の描く日本人である。日本人であること自体がコストの高い、苦しい人生になるのではないかということを考える夜なのであった。
  でもまずは何よりも、樋口先生の御退職を言祝ぐ夜なのである。