panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

今日も9月である。


  病院に家人を送りがてら、昨日の映画をみてきた。泥人形が主役?の人形劇のようになっていて、随所にポル・ポトなどの映像が挟まる。残酷なシーンは意図的に省かれている。最初と途中に出てくる民族舞踊の舞い手が女優多岐川ゆみに似て優美であるが、そういう文化的なもの、伝統的なものすべてが、資本主義の堕落として一掃されるという、知識人には夢のような世界が4年間とはいえこの世に出現した民主カンプチア(ぶではなく、ぷね)。しかしその帰結はこの世の地獄であったという悲しい物語なのである。
  映画にも出てくるが、クメール・ルージュマルクスとルソーの子供なのであるが、一時はサルトルの子供たちだともいわれた(言葉として子供であったかは確かでない)。フランス(宗主国)に留学できるほどの階層の連中(青年たち)が一転して農本主義という歴史の流れを逆転させる理想に向かって(勿論、彼らはマオイスト毛沢東主義者なわけだから)邁進する。とすると、プラトン哲人政治だっておそらくこうなるのではないか。だからプラトンを論じる学者はこの辺にも十分留意すべきなのに、ま、当然ながら、そうはなっていない。
  ちょうど一学年下なら大学時代とまったく重なる期間の話だが、クメール・ルージュが倒れた年に大学院に入った我輩がこの問題をようやく正面から考えるようになったのは、サルトルも死んでかなりたち、教壇にたつようになってからであった。それまでは修士論文だの留学だの博士論文だのと自分のテーマを考える以外に知識人的な関心を多方面にもつことはできなかった。ましてや東南アジアである。情報も限られていたが、そもそもこの地域に対する侮蔑のような意識もあって、この恐怖政治についてはまったく実情を知らなかった。
  この映画のあと、S21についての映画がすぐ始まるというので、見ようかと思ったが、やめた。『消えた画』にもこの施設は出てくるし、ちょっとむごすぎるので。ここが有名な強制収容所である。元高校でいまではまわりに屋台もたっている。一歩施設に入ると陰惨きわまりない情景が続くが、でも、考えてみれば、現体制が崩れれば、S21の何十倍の規模で拷問施設が明るみに出るだろう、いまの中国でも。