panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

部活が共同体を強化することを憂うより、共同体の延長が部活であるという最初の起点を理解すべきだった。


ラオスの田舎ではないかと思う。この山の形が東南アジアである)
  甲子園が終わった。みていないが、このガンバリズムがほんとに日本の今日のものなのかと思って不思議に思う。
  我輩の職場はシブンと呼ばれるらしいのだが(最近知った)、こういうところに汗と涙と泥まみれの青春はないからである。うーん。代ゼミの凋落もやはりシブン人気の凋落と関係しているだろう。
  体育会系男子学生という人間類型をずっと批判してきたとはいえ、節度と忠誠と礼節といった徳目が社会の人々の本体部分で崩壊し、ただ節度忠誠礼節のいわば他律形態、あるいは堕落形態としての体育会系男子学生によってようやく支えられている現実こそが問題なのだ、ということに人々を気づかせないといけないように思う。となると、体育会系男子学生を目の敵にしても始まらない。これが日本の節度忠誠礼節だとは思われたくないからだ。
  シブンの適当さが片方にあり、ガテン系だの体育会系男子学生だのの熱意がもう片方にあって、しかし中心部分はいったいいかなる礼節を維持しているのか。いま触れた両端は知性の欠如という意味では同じ顛末(てんまつ)を迎えるだろうが、中心部分のものいわぬ良識派たるべき人々が一定数モンスター化している現状はどうしたらいいのか。
  正しい現実認識の根拠がほしいし、そのためのデリケートな処方箋の体系的な提示を行う識者がほしい。
  ということを適当にかいてみました。