panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

コンポントムの思い出


  9月に短期行くカンボジア学習のためまたポルポト派の支配について読んでいたら、ポルポトの生まれがコンポントム州の村だとある。
  シェ無理アップから、いやシェムリアップからプノンペンまで帰る途中、バスはこの州の州都コンポントムに立ち寄る。まったく何もないという感じで、何もないことゆえに逆に覚えている。仕方ないから時間潰しにバス停前の食堂で珈琲かなにかを飲んだ。水たまりだらけの、この国のちょうど真ん中くらいの土地柄である。こういうところに生まれたらどうなるのかと、アジア愛好にもかかわらず、頭をかすめた。うーん。ポルポトになるのか。いまならそう思う。
  なぜかバスに乗るまでもよく覚えているのは、その軽い絶望感が作用したということだろうか。
  市街地は別にあったのだろうか。トムというのは、アンコールトム(ワットの横)なんかもそうで、クメール語で何とかいう意味なんだろう。ま、当然だが。・・・しかしこれはアンクル・トムではない。トム・ソーヤでもない。太陽がいっぱいのトムでもない。トムヤムクンでも勿論ない。内田吐夢ではまったくないことはいうまでもないことをいうまでもない。いまさら。
  今日読んでる本では、ポルポト派の虐殺は人口の5分の1には達しない数である。一体何人が正確に亡くなったのか。穏やかそうな顔して、クメール人は怖い。