panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ペグーないしバゴーのスコール


(バゴー。ウィキより)
  ケイタイをどこかに置いておいたので週末に電話が何件かあったことを今知る月曜日。海の日。
  いぜん『ゾミア』を読んでいるが途中中断したし、なんといっても注に目を通し、わからなかったり一知半解な概念などをウィキでチェックしながら読んでいるのでハカがいかない。
  おまけに東南アジアが舞台だし、行ったところも頻繁に出てくる。ペグーもそうだ。いまではバゴーが通り名になっている。パガンがバガンになるように。
  バゴーではとてつもないスコールに閉じ込められた。去年の8月末のブログにあるかと思う。しまいに細菌の危険とか風邪になったのでは?とかいろいろ心配してしまったが、バゴーはモン族の王朝が置かれていたところである。少数民族グッズではモン族もんにはいいものがある。
  ということでバゴーが出てくると(学術的にはペグーだが)、そこでちょっと過去を苦し懐かし再体験しながら読むため時間がかかる。
  そういう以外に、そもそもタイ族とかビルマ族とかいった民族からなる現在の国々というのが、さまざまな山地人たちを奴隷として捕まえてきて労働力にしてきたという東南アジアの古典国家(マンダラ国家)の産物であって、要は民族的なアイデンティティは人種的にはないということを一々つきつけられて読むために、一々ガーンときているからなのだ。
  20世紀以降の民族主義が成立していなかったころには、何か特定の民族なり部族なりという観念が国家形成とは関係がない。ともかく人口の少ない東南アジアなので人を駆り集め、水稲耕作に動員しなければ国家の態をなさなかったわけである。
  だから顔つきの共通性みたいなものを探ろうとしても、やはり無駄だったという半年間のタイ滞在の経験は、それはそれなりに正しかったのである。タイ人の半分は人種的タイ人とはいえないし、国土の3分の2を占める遅れたイサーン(東北)地方はラオ人の居住地なのだし。というかそういうはっきりした分別も無理なほど、東南アジア各国は血の系統が入り乱れている。ラオはタイ語の一つである。いまでは二つの違いは貧富の差で区別したほうがいいのか?
  ゾミアという本はこの点がはっきり痛烈にわかるように記述されている。さすがにそうは思っていた我輩ではあるが、相当にショッキングな内容なのである。奴隷についてもどうも都市の半分以上の人々は奴隷の子孫なのである。戦争は奴隷を捕まえるためになされた。負ければ奴隷である。だからしばらくすると場合によっては奴隷解放になるのである。何世代かかかるということもある。いずれにしてもそういう意味ではアフリカの各地から連れてこられた黒人が混血しているアメリカのような具合に東南アジアはなっているということなのであろう。日本も先史時代はそうだったろう。
  部族というのはだから、国家が対照項目として生み出す負の産物だということがわかる。東南アジアだけではなく、世界がこういう風に生まれたのであるが。
  近代世界を知っているからということもあるが(ヨーロッパにもアメリカにも住んだ)、それで知ったつもりなったわけではないが、それにしても半年間の経験ながら東南アジアはまことに面白い。
  ウィキでタイ族をみれば、タイ語世界の理解のむずかしさがわかる。そもそもこの項目を読み通すことが困難である。スムーズには入ってこない。