panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

昼食のあと、『タイで考える』でタイを考える


  一仕事終えたので今村仁司の『タイで考える』、昔一瞥したが、もう一度最初から読んでみる。
  完全な西欧派の有名な学者で、タイに行って、タイのことについて書いたものは多くはない。そもそもタイに行ってもらう(?)だけでありがたいくらいだ。そもそも知性のある人間がタイなんぞに行くか?!みたいな話でもかつてはあったわけだし。
  今村はもう亡くなったが、86年からタイに何度か行って、人類学的な調査の見習いみたいなものをした。当時のことだから、タイ初心者の彼は最初からぼられる。バンコクではカキにあたってバンコクが嫌いになる。そして人と好んで交流をもつほうでない自分というものについても率直に書いている。パリでもこもって本を読んでた人間がなぜバンコクで進んで人と話したりするものかと。
  かくして、この人は我輩に近い。勿論アルチュセールなんかは嫌いだが(我輩が。今村はこの種の左翼文献の代表的翻訳者にして解説者として活躍した人)、そして日本内部でならまったく共通点のない人なのであるが(そもそも思想とか思想史とかを最近の我輩は役立たずだと思っているのである)、タイという文脈を置いて比べれば、タイ所以の人間たちのなかでは、これまで読んだどの人よりも我輩に近いのはこの人なのである。丸ごと西洋派の教養で育ってきた、インドアタイプの、行動よりは静謐を好む、北側的(?)の人間として。
  ということで、そう思うと、彼にしては率直に吐露されている第一部の紀行部分がとても興味深い、ということに遅まきながら気づく次第なのである。
  年いってからタイに行ったような書き方をしているが、42年生まれなんだから、まだ44歳のときの訪タイではないか。我輩とどっこいどっこいじゃね?
  なお写真は『タイで考える』のものではない。もうこの本は絶版なようなので。