panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

どですかでん


  昨夜の帰宅はブラ2。今日もいま職場で荷物片づけにきたのだが、車ではブラ4を聴いてきた。2はジンマン、4はザンデルリンク
  ブラームスの旋律は、人間のつくったものとは思われない独特の旋律である。
  古典派ロマン派は楽曲の形式には違いはなく、ただ盛り込まれる詩情がロマン派においてより濃厚である。音楽史の区分としては二つあわせて一括りにしてよいもので、この150年という音楽の一時代の到達点にブラームスがいる。
  19世紀後半は国民楽派が出てきて、たとえばドボルザークとかチャイコとかが土臭い、あるいはセンチメンタルな音楽をつくっていた。そのなかにあってハイドン以来のウィーンにいてブラームスの音楽は古典的(古典派的)である。
  そもそも最初に書いたように、旋律がまったく人間的ではない。どうしてこういう旋律を思いつくのかが理解できない。人間の自然な感受性から流れるように出てきたものではなく、加工に加工を重ねて生まれた非人間的といってもよい旋律である。しかも感動的である。凡百の旋律ではこうはいかない。
  我輩の解釈はブラームスがその出自に対する恥の感覚のようなものから、自然で流麗で感情的な音楽づくりをつねに遮断して、もっと何か自分らしくない、本来的でない、豊穣さのなかから生まれる力を抑制して、ようやくある種の理想(つまり古典派的音楽の理想と彼が考えるもの)に近づける過程で生まれたのがブラームスの音楽だというものである(彼の家庭の独特なことは伝記を参照すればわかる)。ブラームスがいま生きていて流行歌の作曲家であったら、とてつもない流行作家になったと思うのだが。自然なブラームスハンブルクの港町の猥雑な環境で育ったブラームスなのだから、もっともっと多産であったはずなのである。
  ピアノコンチェルトの長い歴史の最高峰にあるはずの彼の二曲は、実はモチーフを完全に展開してきれていないのではないかと思う。それがいつも我輩の不満であった。彼の能力は抜群であったはずなのに、自然に生まれたのではないモチーフだったから、それを十分に生かしきれていない、と素人の我輩は思うわけである。
  もっと自然な、たとえば合唱曲もブラームスはたくさんつくっているが、そういうものだと展開はやはり自然である。しかし彼の代表的な作品、ハイドン・モツ君・ベト君以来の歴史を意識して書くような大作は、モチーフも展開も、この世で考えられる限りの人間技をすでに超えているのである。
  しかしその結果、国民楽派のセンチメンタリズムは、いまでは映画音楽、たとえばフランシス・レイだのヘンリー・マンシーニだの、ニーノ・ロータによって凌駕されているのに、ブラームスの不自然で、そして圧倒的に技巧的でしかも感動的な音楽は誰も乗り越えることができない。モチーフにも展開にも、ブラームスには、通俗性のかけらもない。通俗的でなく、センチメンタルでなく、そして人の心を動かす音楽という古典派独特の音楽はブラームス以降は崩壊した。マーラー交響曲はときにちんどん屋みたいに聴こえる。そうした通俗性はブラームスには一切ない。しかしそうなのはブラームスがそういう人間だったからではない。彼は内なる通俗性を克服しようと考えたのだと思われる。生涯にわたって彼が親交を結んだ人々は彼より音楽家としての技量は低かったのに、ブラームスを導く。シューマンに代表されるある種の知識人性、これへの希求がブラームスにいま我々の聴くブラームスらしい音楽をつくらせたと我輩には思える。ぽよーん。
  とはいえ、津軽海峡を乗り越えてやってきた我輩である。郷土の誉れ北島三郎先生の函館の人のイントロを聴くと、その通俗的なセンチメンタリズムにはいつも深く(不覚?)感動しているのであった。http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%8C%97%E5%B3%B6%E4%B8%89%E9%83%8E+%E5%87%BD%E9%A4%A8%E3%81%AE%E5%A5%B3&tid=690cc6319b304c5467703700ac603802&ei=UTF-8&rkf=2