panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ハノイで見たこと


  土曜の夜11時過ぎ。・・・仙台に行ったせいか、若干の睡眠障害である。昔のことを思いだしたからか。中心街の風景の基本は嫌になるくらい体にたたき込まれているので、離れて30十年近くもたったとは思えないほどであったが、何といっても我輩の行った大学はいまのような学生思いの大学ではなかったし、また普通の学生のように遊んだとも試験勉強したというわけでもなかったので(どちらでもなく、ただただ本を読んでいたということであって、卒業するのは苦しいことだった)、その頃を思いだすことは忸怩たる印象を喚起するのである。
  で結局昼間というか夕方、自宅にいると、睡魔が襲うのである。襲うというほど明確にやってくるわけではないが(当たり前だが)、気づくと寝ているわけである。
  今日はしかし家人の入院のための準備で外出した。
  松本清張の全集第34巻は『ハノイで見たこと』である。1968年にハノイで見たことを書いている。当時彼はインドシナ国際休戦監視委員会の連絡用飛行機を使ってインドシナ各国を行き来しており、ラオスビエンチャンからハノイに飛ぶというところから始まる。天候が悪くて5度目のフライトでハノイに入ることができた。パテトラオの攻撃を避けるために渦巻き状に直昇してから方向を変えて行くという。
  結局パテトラオが勝利して、現在の社会主義政権(だったよね)になるわけで、ラオスのガイドブックを読んでいて久しぶりにパテトラオという言葉に出会ったときは、霊感にうたれたようになった。仙台の場合は不安な気持ちになったが、パテトラオは愉快な懐かしい気分になった。なぜだろう?
  ということで、青柳いずみこ先生の一連の音楽エッセーの本も少々品切れとなっているので、松本君のを寝入る際には見ているのである。ハノイで見たことを見ているわけである。
  なお、写真はアナキスト文献を探していると、こういう本もあるというので出てきた。買わずに死ねるか。・・・といった探偵小説好きの芸人はもうとっくに死んでいる。一度だけ彼の新宿ゴールデン街のバーに行ったので、会ったというのか、、、、。