panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

アジアの横の日本


  一年でもっとも重要な仕事の一つは無事終わった。はやく業者との面談が始まったので、実は3時には終了。肩の荷がいったんおりた。
  それで雑用を急ピッチでやり、会うべき忠良なる中国人(前にスパイ容疑のかかった。我輩がお茶のしびれを意識したのは取り越し苦労だったわけである)一家とも無事邂逅した。5時もすぎて、ようやく一日が終わるという感じである。明日こそ、自宅待機を命じたいものである。我輩が我輩に。自己充足予言的充足をはかりたい。
  この本の著者カッツェンスタインとは会ったことがあり(一度職場に訪ねてきた)、たまに本も読むのだが、昨年の本の副題をご覧あれ。アジアの横の日本となってはいないかね。
  これは云い得て妙ではないか。アジアの一員とは到底いいがたい「日本、また世界驚かせた」ところの日本。だからといって気候は似てきたが、東南ああアジアの一部でもない。まさに「アジアの横の日本」。
  この文句は、ここ何年かのアジア表現(?)のなかでもっとも秀逸な表現にして、深い理解だと思う。じゃね?ま、アメリカは世界の上のようだが。ははははははははははははははは、原辰徳
  これを読んでる老若男女の皆さんはどうでしょうか。