panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

昼食食べて吐き気をおぼえる


  今日は午前中に重大な仕事で、時間をおいてまた3時からその続きである。
  我輩は仕事が早い。別に有能なのではない。我輩は警部フロストである。ただ、昨日もう大半やってしまっているからである。そうすれば早いと気づくだけの当然の知性があるにすぎない。
  さて、で、相手がいる仕事なのだが、出された弁当を食べながら、相手方の進展を(きっとあっちは意地悪いなあとか思いながらいるのだろうが)みているわけである。その結果、急に途中から気分が悪くなった。段取りの悪い大人(我輩と同じ商売なのだが)をみると、具合が悪くなるのである。年々歳々、同じ仕事をしているのに学ぶことのない人間の、すさまじいばかりの「動員されない力」に酔ってしまうのだろうか。
  我輩は動員されないことをもって、近代の隘路を、何とかしてくぐり抜けたいと念ずる人間である。しかしそれはこの動員社会では動員を花返す、いや跳ね返すだけの力を必要とする。しかしもう一方で、動員以前、あるいは動員以下のこのようなしぐさをみていると、力のない跳ね返し、というウルトラCもあるのだということに気づく。
  でもこういうウルトラCは、特定の商売に限られるからね。市場競争のない分野の仕事でないとダメだなあ。・・・それに、一緒に仕事をする人には吐き気を喚起してしまうという重大な恐れも、忘れないようにしないと。若人たち。
  適度な被動員力というのが中庸な解決の一つの道だということがわかる。あまりの被動員非力では、問題ありありでは。・・・しかも、そういう人はむしろ多いのではないかと。どう若人たち?
  ちなみに写真は歌舞伎弁当である。我輩のは値段ならこの3分の1くらいである。値段の安さそれ自体が嘔吐感を醸成するかのごとき弁当だったかもしれない。市場競争から離れた仕事の報酬っていうのはねえ、、、。