panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

世間も危険に満ちている


(4月発売の、高野先生のグループの一員タマキングの本)
  春何番か(はるな愛ではない)の突風がすさまじく、二子玉川の方を車から眺めると、まるで北京の春である。PM2.5でないことを祈る。・・・日本もいぜん放射能汚染のさらなる危険をはらむわけだから、中国の春ばかりを責めることはできない。
  ともあれハンドルはとられるし、ゴミはビューンと飛んでくるし、第三京浜の旅は命懸けだった。
  さて昨日はもう一つの長期の論文に形をつけた。本になるものの第2章第1節。これだけで原稿用紙で100枚近い。で今日も職場でブラッシュアップとか思ってきたが、二日続けては調子がのらない。・・・これがサラリーマンなら今日で終わっているところなのだろうが。前にもいったように、我輩の一週間は3.5日である。二日で一日なので、いやはや短い短い。

  アファナシエフはあまりもっていなかったので、平均律の第二巻を含めて何枚か注文した。調子のいいときは彼ののろいテンポが限りなく受け付けられなかったが、ちょっち傷心の日々には抜群のテンポとそして音色の美しさである。アシュケナージ平均律は音が荒くて(テクニックは抜群なのに)、がっかりしたのとは対照的。なおこの変人アファ君はまだ還暦前である。勘違いしないように。アッファッファッファ。・・・とか思ったら、47年生まれだった。60代後半なんであるね。びっくらこいたぜ。若い若いとかいっている間にこっちも、、、、。
  おっと。最後の24番のフーガが二度弾かれている。したがってトラックは25まである。最初は分からなかったが、とんでもない知性ではないか。この有名なフーガを最初は遅く後は速く弾き分ける。人知れず、堪能という言葉が浮かんでくる。ふふふ。胆嚢ではない。そんなこといっちゃ、いかんのう。・・・また、だいなしか。