panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

(断末魔)総括マニラ研修-----ソースカツではない。マニラにはない。


(これがマカティ市。ただし人のブログを参照)
  鈴木静夫『物語フィリピンの歴史――「盗まれた帝国」と抵抗の五〇〇年』という1997年の中公新書は同年の山本七平賞を受賞した。山本七平は日本の最重要な思想家であるが(空気や日本教という概念を想起)、この本は、「スペインの武装宣教船団来航後の長い植民地時代を通じて、西欧と闘い続けたアジア唯一の戦闘的民族の軌跡に、本書は肯定的な光を当てるものである」と指摘されている。ほほ−−。


(興味深いが、かなり悲しい情景でもある。すぐ横はこう)
  現実に行ってみると、マニラはかなりそういう雰囲気を伝えて「いない」。どこに戦闘的民族の軌跡や痕跡があるのか、はかばかしくにわかにまことにもっていっこうに分からない。そしてそのまま、帰って来た。南国の解放性は資本主義の利益至上主義に駆逐され、のどかなところがない。フィリピンのウォール街マカティ市の摩天楼と、周りの明らかな公共交通網の未整備やスラム(富良野ではない)の惨状は、中間的な地帯や層の薄さをいやがうえにも感じさせる。中国をやめてフィリピンに工場よ、来い、と云われても(云っているのだが、フィリピン政府は)、おいそれとはハイとは云いにくい(ま、行ってもいいが。中国次第で)。

(イントロ内部の原始的な仕事のやり方。笑えない)
  しかしそうはいっても、風土が違う、文化が違う、人が違うということは痛いほど分かった。アメリカ植民地だったから?ならアメリカの他の植民地と比較すればいいし、スペインの長い統治(300年以上の)と深く関わるなら、南米と比較すればいい。しかし、日本の台湾や韓国統治と比較するのはもっと興味深いのではないか。帰り、国際港高雄でトランジットして、同じ中国人と称する人々のなかにもこんな中国があるのかと思った(台湾はずっと前に一度行ったきり)。あるいは、併合・統治の実質的効能を評価する国(台湾)と文句ばかりいう国(韓国)というのもあるのだなあとか思ったり、、、。




(高雄空港とそこににある花といた猿。猿は本を読んでいた)
  終始専制体制の下にあった卑屈な民族と正面から争うつもりはないので、それはそれであるが、ともかく、異文化体験と一口に云われるような経験から学ぶのは、ヘイ、ユーだよ、ユー。って下品か。・・・ってこれが総括か。、、、そーすね。ってソースではないって。・・・・・・・・・あとは自宅に帰ってから。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  しかし、実をいえば、かなり楽しかった。カジノは写真禁止である。あれがあればブログももっと違った感じになったろう。とくに勝った日の我輩は007であった。でもカジノ・ロワイヤルというよりは、カジの授業といった感じの庶民的な連中がいっぱいいたが。金持ちはVIPルームがあったわけで。
  ということで、ひとまず、異文化研修はつつがなく終わった。腹痛もたかりゆすりもかなり心配だったが、危険はなかった。空港からマニラに行くのがそもそもそ大変と聞いていたが、わずか30分だったし、戻るときは25分以下だった。治安は、なるほど、昨日、6月に邦人が手足を縛られて殺害という記事が出ていたが、我々の行くところ、敵は、チップせびり屋のみであった。ふふふ。今日も強制的チップの恩恵を楽しんでいるのか、彼らは。地獄の黙示録のBDはまだ探せていないが、いつかゆっくり眺めることになるだろう。さらば、フィリピン。同行者たちに感謝して終わりとしておこう。・・・何といっても書きすぎるのはまずいし。最終前日におごり、損ねたので、次の機会を待つように。では次の旅までアディオス(ジョリビーが後ろに見える。懐かしい、、、終わってみれば愛おしさすらわく帰国1週間である。・・・こうしてまた行くことになるのか?アホじゃね?)



(追伸---ホテルの「セパレート方式」のトイレ、中華街の人跡未踏なトイレ、除菌ペーパーと私など、公衆衛生の話もあった。品格を重んじて割愛したが忘れないように。、、ってぶち壊しじゃね、ブログの最後を)