panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

やはり似ている前田敦子-----それとも井上あさひ?(NHKニュースナイン・キャスター)

  
(60年代はある意味、大阪の時代だった。お笑いはそうだ。劇場中継は圧倒的に大阪だったのでは?。我輩も大阪育ちなわけである。たまにさんまに対抗したくなるわけである)
  昨夜は第3京浜が車の転覆事故で渋滞だった。抜け道を通り帰り着いたら9時を過ぎていた。
  それから少し大沼著のタイ編を読んで寝たが、3時くらいに南沙織の歌で目が覚めた。NHK第1の特集だった。由起さおりは好きだが、南沙織はむしろ嫌い。東南アジア系の顔は当時は苦手であった。人気があるのが理解できなかった。でも、寝ぼけた頭でぼんやり聞いていると、しっかり、何というか歌唱しているのがわかる。
  テレビをつければ好き嫌いにかかわらず湯水のごとく名曲というか名旋律が流れだしていた当時の歌謡界というかテレビ界。パヤパヤとかいう掛け声というか、バックコーラスも入っている。これも当時のスタイル。とてつもなく懐かしい。国民的歌謡曲がずっと続くもんだと決め込んでいた当時の人々の、やはり一員であった我輩であった。時代の目に見えない拘束は大きい。・・・「60年代 懐かしの宝箱」というサイトがあるので、当時を知りたい人はごらんください。http://homepage2.nifty.com/mtomisan/index.html
  眠れなくなり、さらにタイ編を読み進めるが(次がフィリピンの章)、何だか1984年のタイはチェンマイ−チェンライ間の川下りの船には、銃をもった兵士が乗り込んでいたらしい。ラオス、タイ、ビルマ国境の「黄金の三角地帯」には麻薬組織と麻薬戦争が跋扈していた時代。それにしても、そうまでしてあんな何もないところに行くとは。命ホイド(ホイドは乞食の津軽方言で、命ホイドとは臆病者の謂)の我輩が当然行く訳ないわ、と一人なぜか納得する。あの当時東南アジアに関心なくて、命拾いしたのではないか。
  それでまだフィリピンにはたどり着いていないのだが、大沼の本はそれなりに面白い。東南アジアを専門としない学者が40日間国際交流基金か何かの援助で東南アジア各国を回ってくるといういわゆる辺境ものの紀行文なのだが、でも、何て云うのか、料理はうまいが給仕に難のあるレストランというか、うまいフレンチをつんとした給仕の下で食すような居心地の悪さがある。きちんと自分で設計した旅行で、豪華大名旅行ではないし、苦労もしているのだが、何だかちょっと小さな違和感を感じる。言葉遣いがやや荒いともいえるし(法学部の教員にありがちのと云ってみたい気がする)、何といっても失敗がない。結局は予定調和感満載で、満載であるがゆえに、何かが足りない。
  ・・・改めて辺境作家高野秀行の偉大さに気づく。懐かしさとともに、感謝したいという気分にすらなる。高野は、そういえば、「間違う力」ということを云っていたし、そういう題名の本もある。間違い戸惑う、したがって謙虚にならざるを得ない人間が手さぐりで体験し書くから、東南アジアものは面白いのではないか。東南アジア旅行が日本の旅のように完全予定調和になれば、ヨーロッパ紀行がもう今では本にはならないように、おのずと消えていくのではないか。東南アジアものの新しいのはまだまだいっぱい出ている。それが、救いでもある(勿論大沼著を正面から批判しているのではない。念のため)。
  あ、忘れていたが、当時、1バーツは10円もする。2泊3日の三角地帯ツアーが2500バーツで2万5千円とあるから。バブルの開始直前ではあるが、ずいぶん豪勢な金の使い方をしているように思う。我輩が行っていた2年前は1バーツ3円。そして今は2円50銭である。10000円両替して4000バーツくる勘定である。すすすすすす、ずごぐね?
  もう6時か。今日も暑くなりそう。・・・しばらくしたらアップしよう。


 
  並べると似ていない。