panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

あれから1週間、金曜日はまた雨だった------韓国総括


(夜のミョンドン)
  ソースカツではない。総括である。
  もう1週間たった。先週の今日はイテウォンで焼肉を食べていたはず。そういえば、日本に帰った翌日も焼肉を食した。さて今日の雨の責任者(雨男)は誰だろうか。もしソウルでも降ってるなら、別の弾丸旅行者たちがソウルで犯人捜しをしているだろう。週末の天気はいろんな意味で重大である。
  かくいう我輩であるが、この戯画化された旅行記においては、食って飲んで寝てというばかりに見えようが、真実は、、、そうではない。歩き、乗り、見たのである。韓国ソウルという街を。
  その結果が、寒冷地仕様タイとしての韓国という認識であった。同時にいうまでもなく、日本についても思うわけである。この国を支配下に置くということを考えついた明治の権力者はどういう神経をしていたのかと。一体に日本が支配下に置いたアジアの都市に降りたつと、ほとんど呆然とする。香港、シンガポールハノイジャカルタ(は行ったことがないが、きっと)。当時の日本はどういう認識、というのもおこがましい、やはり神経をしていたのかと。その傲慢ぶりは成り上がり者特有の傾向であったに違いない。中東という文明発祥の地に絶え間なく侵入する今日のアメリカのような感じであったのだろう。
  今回も、やや悔しいが、壮麗な建造物には、たとえ再建されたものであるとしても、讃嘆の言葉を捧げなくてはなるまい。しかしそれは盾の半面で、民の側から見れば?マークもありえる。しかしたとえば歩道一つとっても、日本は負けている。歩いた大半の道は広くて、3人が余裕をもって横に広がることができた。あっちから2人組が来ても避ける必要はない。そういう道は、東京では表参道くらいではなかろうか。しかも裏通りみたいな感じの道を一度歩いたが、アスファルト舗装ではなく、お洒落なレンガを敷き詰めたものだった。かなり長い道がすべていろいろな色の舗装で彩られていた。きっと家も広いのだろう。伝統街はとくに風情があって、その分、日本を思って悲しい気持ちになった。
  つまり生活する都市としてソウルは、かなりきちんとした人間サイズを維持しているのではないかと思ったのである。旧大日本帝国も、田舎にはいまだに広々した、清々しい間取りの大きな家がいっぱいある。のみならず埼玉県ですら。素封家の息子と結婚した従姉妹の家はびっくりするほど大きく、気持ちいい。ま、掃除が行き届いていない嫌いがあるということだが(伝聞)。ふふふ。
  ともあれ、でもソウル、あれが普通なのではないか。世界標準ではないか。つまり日本(正確には東京)がチマチマしすぎているのだ。なにか近代の幻想に惑わされて、必死の形相で、短期的目標を実現することだけ考えてきた結果がこれ、東京を代表とする今の日本だとすれば、やはり長期的にはどの国にも追い越されて不思議はない。
  とまあ、そんないつものアジア比較で、またもや日本(正確には東京)が負けている、という結論になりそうである。残念至極、腹だたしいこと夥しいので、この辺で、総括をやめておきたい。・・・異議があれば、コメントでもくださいね。
  ではまた。次回はバリ島となる公算が高い。でも書くかは未定。・・・明日も雨か。必要があって熱海に行ってきます。実は我輩の旅は雨が多い。だからといって我輩を雨男と、、、、、、、、、、。カツ!無論、ソースカツではない。