panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

英雄の生涯----東京花粉症に抗して韓国観光を記す

  
(伝統風景)
  なぜ調子が悪いか分かった。つまりは花粉症なんである。指摘されて昨夜から薬を飲み始めた。今朝もまた2錠。だるいし、かったるいし(同じ?)、体の置き場のない状態がやや改善。・・・でもまだ外出してないから何とも言えないが。
  さて続き。インサドンで食べたのは韓国うどん。しかし目指す店がない。南極氏は南北を行ったり来たり。つまりは1年3カ月前にはあったものが別の店になっていたのである。同じことは、ミョンドンでもあった。1年前に行った伝統茶屋が若者向きの喫茶店になっていたりと。
  でうどんだが、食べてみて初めて分かった。我輩も1年前にミョンドンで食べていたのである。その支店みたいな、みたくないのがインサドンにあり、結局そこで食べることにした。お決まりの韓国餃子もキムチも食べた。体がかっかして、いい。店内は各国人が蛸集し、インターナショナルな雰囲気。おまけに修道女2人もすする(厳密に韓国人がススルという行為をするのかは疑問。今回は確認できず)。しかしなあああ、1年前を忘れ20年前を覚えているこのボケカボチャの構造は何とかならんかねえ。・・・ちなみに帰国後、唇が荒れているわけだが、毎食のキムチが一因と思う。

  その後はサムチョンドンあたりを散策。つまりは冬ソナの世界と韓国伝統の街並みを味わうことになった。がどうも追いつかない。もしかしてザ北極南極は我輩より足が長いのか。意外である。遺憾でもある。歩数をひそかに比べてみるが、我輩の社会科学的観察はどうも間違っていない。歩くことにひたすら邁進する自分を発見したときには、息がすっかり上がっていた。


(こういう街並みは昔読んでいた童話のようであるが、うまく撮れなかった。・・・息が上がってたもんで、、、)
  考えてみると、我輩もアジアではよく歩くが、1時間半に一回はカフェしている感じである。ちょっと疲れると、すぐ座るところを求めて、珈琲だの健康茶だの、非健康茶(ビール)だの地元茶だのをいただくわけである。ヴェトナム編を読みなおしていて分かった。たっぷり食べ飲んだ食後になんだかんだと云ってカフェに座っているし、、、。これを我輩は暑いアジアでの仕方ない反応として理解していたわけだが、我輩のスタイルであったわけだ。だから息が上がるのは、食後インサドンをぶらぶらしたが、やはりそれだけでは足りなかったということなのかもしれない。今回、結局カフェは最後の空港までおあずけとなったが、自分の旅のスタイルを初めて差別化(自覚)できた。ま、要するに、だらだらしているわけね。・・・あえて、のんびりとはいわない。気持ちとしては、非常なる積極性をもって緊迫した、常人にはない詰まったスケデュールをこなしていると考えていたわけだから。ふふふ。幸せもんだったなあ。・・・それがしかし、日本標準には達していなかったということね。
  ここで子供とブランチのため中断。・・・しかしどこかですっとばさないと、韓国編、なかなか終わりそうもない。ちなみに一年前の韓国編の内容はと見ると、あ、臨場ブログ故、書かなかったのかあ。・・・とまた、ボケかぼちゃの構造である。