panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

チェンマイ旅行・中間考察------ウェーバーの『宗教社会学論集』じゃね?

  この調子で書いていったらきりがない。黙々と一人対話を繰返した孤独な旅であれば、当然に書くことはあるし、書かれたものからは内容豊かな楽しげな旅といった印象も一部にはあるかもしれないが(でもまさかなあ)、実態はOL二人の海外旅行みたいなもので、帰ってから充実するたぐいの回顧的詐術に他ならない。意味がわかりにくいかもしれないが、女二人旅の姿を見ていると結構緊迫した顔をしている(と思える)。でも帰国して写真を見せあってワイワイ云ってる場面に遭遇すると、とってもリラックスしていたかのごとくである。でも日本人の表情がそうなのかもしれないが、海外の女二人旅でリラックスしているところなんて、それほど目にしたことはない。今その場でほんとに楽しくて仕方ないというときの感じではどうしてもないのだが。
  我輩の場合、10時前にはホテルに戻っていたし、なにせ黙々と食べているので腹が膨らんでだるいし、照明が暗くて本が読めない。つまり一日の最後は、さらに退屈なのである。一人対話する気力もなくなっていて。しかも海外旅行というより国内旅行気分なので、テレサ・テンには悪いが、部屋で横になっても、地方のビジネスホテルで明日の仕事の資料を読む気分なのだった。こうしてチェンマイでは不眠がちだった。でも、それが実は求めていたところなのかもしれない。------タイに倦む。そんな贅沢をしてみたかったのかもしれない。これは贅沢の中の贅沢だ。ローマの貴族のように倦む、という表現を考えた。楽園チェンマイでローマ貴族のように倦む。実際はあっちこっちと寝返りをうつ。
  バンコクではほとんど食欲がないのに、チェンマイでは俄然張り切って食べてしまった。おがしぐね?。食い気に走る中年女みたいだ。って炎上が怖いなあ。ベルイマンの『沈黙』における性の問題とは違って、そこにはなんの切迫感もない。でも旅行に行ったら海鮮中華という強迫性反復行動ではあるようだ。好きなんだなあ、海鮮中華が。フカヒレも早々に行ったしね。いくつかとった写真から。あ、どこが中間考察なんだろう。昨夜は疲れてアップできなかった云い訳かも。(あれ、1日のところにアップされてる。2日の午前3時だが→2日にもってきた)
  1枚目は真中の鍋がエビのはるさめ煮。はるさめがあまくて旨い。他の2皿は貝。甲殻機動隊ですなあ。米は注文しない。一度も食べなかった。でも海鮮中華の写真で成功したことはない。2枚目は一緒に飲んだ飲料。ただしミルクではない。禁止されているのでビールはこうやってお茶の容器で運ばれてくる。3枚目はおかゆことカオトム。感じがよいので、がっちりチップをあげた。あ、米が、、、。