panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

肥沃なタイ、田園交響楽------第4弾でやめたいものである


  朝は日本時間で目が覚め、タイ時間で起きる。そんな風になった。でも今日は、連日の休日疲れ(?)で起床が遅れた。チェンマイの疲れが出たのか。かなりだるい。動きが鈍い。っていつもじゃね?。タイ化?。いや、返す本もあるし、一番心配なのは必殺お助け人のパソコンがウィルスにやられてしまったことだ。3か月ごとの品揃えの大量充実の直後の攻撃なだけに、いっそうがっくりくる。昨日の朝のことだった。しかし我輩がいては、パソコン音痴がもう一人増えて不安を助長するだけである。役に立つ立たないの話でなく、はっきり逆効果である。普段は慎み深い我輩はこういうときだけオロオロして、四方八方に電話してしまう。すまんね、U氏。って一人だけかい?。この恐怖はパソコン通には分かるまい。わははは。って威張ってどうするね?。かくして非情をもって知られる我輩はそのまま打ち捨てて、マハーチャイ鉄道小旅行の旅に出かけた。トンブリ地区は久しぶりだ。、、、だからパソコンがどうなったのか、とても気になる。ブログ書いてないでさっさと行けばいいのだが、そこは水心あれば魚心、蛇の道はヘビーというが如し。って意味が分からない。実はまだ行く前にやることが一杯あるのである。受験勉強の前に本が読みたくなるみたいか。
  急にですが、告知です。6日から16日までブログは断続的になります。とくに9日から12日はまた休止です。その間、クラビへ行ってきます。松島を大きくした感じ。桂林の海洋版。ベトナムハロン湾。去年007島行って以来の行きたい場所です。かつて松島にはあまりに失望したので。ただボーとしてきます(しすぎじゃね?)。
  ともかく昨日は西のマハーチャイ、土曜は東のエラワンと、チェンマイ後も黙々と歩く我輩であるので、疲労が襲ってきた。今日は身の周りの整理を致します。その前にチェンマイを。
  チェンマイはやはり書くことが多い。短い間だったが、誰か知り合いがくれば、も一度行きます。でも一人では。チェンライもあるし。あっち方面は別の形で行きます。でそろそろ連続した形ではチェンマイ・シリーズを終えたい。夜市だのいろいろあるが、一番興味深かった帰りの列車の話をしておきたい。
  電化してないタイ国鉄では、列車はディーゼル機関車で引っ張る(ディーゼル・ラーン車はそうではない。急行だからこっちではないか。不案内なもんで)。だからか、うるさい。昨日のハマーチャイ線なんか列車は1985年日立製作所製だが、偽もんじゃね?。こんなに騒音がするのか。55分間、気が狂いそうだった。窓もドアも開け放しだ。バンコクチェンマイ間は有名な路線なのでそうでもなかったが、最初は度肝を抜かれた。新幹線の偉大さを感じる。しかも勿論遅い。でも早く帰る旅ではないから、実はちょうどいい。その間、完全に闇に閉ざされるアユタヤまでの10時間近く、北タイと中部タイの肥沃な大平原を眺めてきた。そのために列車にしたのだ。
 それは実にたおやかな気持ちにさせるものであった。弛緩したバンコクの我輩はさらに弛緩したタイの我輩になって戻ったのである。穀倉地帯とはこういうことなのか。というのを連続的に教えられる計13時間。行っても行っても遠くまで田園が広がる。その奥には、白い南国の雲が悠然と控える。空あくまで青く、時間は一時停止。チョウチョが飛び交うかと思うと、シラサギが舞っていたりする。鷲だか鷹だかも遊泳している。農民がポツンポツン、あっちこちで腰をかがめている。とにかく見渡す限りの田園だ。
  アンドレ・ジイドに『田園交響楽』という小説がある。小中学校時代(どっちだ?)に読んだが、おフランスに田はない。麦畑だ。ここタイが、ほんとの田園交響楽だ。しかも田園のところどころに、木々がそのままにしてある。亜熱帯の木々はすくすく伸びて、思い思いの形をしている。ほれぼれしてしまう。水田そのものにもうっとりするが、それを借景にして木々が配されるのを列車から見ると、これは、タイ農民のつくりあげた一種の盆栽だというのが分かる。本家日本の盆栽は小さな盆の上の小宇宙だ。タイはそうではない。悠久の大地を背景にした壮大な盆栽なのだ。大きな木も遠くから見れば、盆栽である。農民たちは遠近法を利用して、自らの田園を大きなキャンバスにし、点々とさまざまな木々を配して、仕事場を美学化している。これは、ウィリアム・モリスを何百年もさきに実践していたということではないか。生活の美学化という概念で、日本の民藝活動が賢しらに謳いあげたあの、結構お高くとまった主張は、すでに、タイ農民のなかにあった。
  我々が農民というときの見下げた感覚は勿論タイにもあろう。しかしどうだ、これは。タイ人と日本人の違いはこういうところから既に始まっているのでは。一村飢饉により全滅といった歴史的事態はタイにはなかったのかもしれない。食うに困るという近代日本を下から支えた国民的恐怖感もあったのかどうか。個々の農民が豊かかどうかは知らないが、列車からでさえ味わいうるこの農村全体にただよう豊饒感は、ズバリ圧倒的である。足のすらっとした農民という我々の理解しがたい人々がタイ農民である。タイ人の脚の曲線美は、こんがり焼けたトースト色とあいまって、これまた圧倒的だが、そこにはつながりがあるに違いない。タイの人びとが日本人と違うのは当然なのだ。そう思い知らされる半日の帰路だった。
  もう一つ楽しかったのは列車のサービスである。これはタイ人の勤勉さ、清潔感の例証である。しかも間が抜けてもいる。そこが微笑ましい。それと、一人の中国系タイ人元英語教師と知り合った。というか強引に。これも今回の帰りの時間を好ましいものにしてくれた。今日はもうおしまいだが。次回。やはり続きかあああああ。
  北タイと中部タイ。2つは違う感じ。最後は車内サービス。コーヒーとケーキ、飲み物やおしぼり、さまざまだ。むくむくと幸福感がわきあがる。611バーツにこれだけつく。高いまずい日本料理。日本料理殺戮事件という小説のタイトルを考えた。