panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

クルレンツィスのレクイエム


  なぜこの写真なのか。不明である。そこにあったので使ってみた。
  クルレンツィスのモツ君レクイエム(いわゆるモツレク)のCDは昨日のそれである。
  昨年のザルツブルク音楽祭で彼がムジカエテルナを率いて演奏したのを、今週のNHKの日曜日(つまり月曜日にかけての深夜)放映されているのを録画して見た。
  いま彼はクラシック界最大の話題である。ギリシア人。でもエテルナはロシアの知らない小さな町にある楽団。そこで独裁的な体制を敷いて、自分の音楽をやっている人物。だからこのCDの評価もそう反している。5つ星と1つ星とに。エゴが音楽の真正さをまげているだの、自分勝手だの。
  でもこのレクイエムの映像をみて、仰天してしまった。ポキは。なんといっても第2第3曲の連続して演奏していくところなんか、大船が嵐で揺られるような圧倒的な振幅のリズムである。第4曲のトロンボーンも美しいし、全体がまるで違う。これまで聴いていたのはまったく退屈に思えるような。
  事実、大半のモツ君は弦楽合奏は退屈である。交響曲なんかもそうで、ジュピターは同じ旋律の繰返しで、唖然とするほど凡庸な感じがする。他の交響曲も大半がそうだ。
  しかしこのレクイエムはまったく違う。そもそも大男で細身、そして腕が長く手が大きい。指揮棒は使わず、表情豊かに手と腕で劇的に指示を与える。そしてかきあげる長い髪がまたエゴイスティックだが、目をはなせない。
  終わってしばらく拍手がない。宗教曲だからかと思っていると、彼がまだ覚醒していないのである。そしてようやく終わったということに自ら気付いて(あるいは気付いたふりをして)、顔をあげると拍手がはじまる。それが、ロシア的友愛を彼が各団員一人一人と示す過程で、ヒートアップしていき、とどまるところを知らない一大オベイションとなる。
  というわけで、フィガロの結婚を買って、普通ではないかと思ったポキはぜひともこの一枚(モツレク)を入手して、そして他のも買うことにしたい。なにしろ昨年のレコ芸最優秀CD大賞はクルレンツィス君の悲愴なのである。チャイコフスキー交響曲6番。こんな通俗曲が。まさか?彼がこれをどうしたのか、息を殺して聴くことになるだろう。