panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ついえる望み?


  日曜の夜は高速で戻ってくるときには録画で、自宅にいれば直接テレビをみて、世界の果てまでいった気になる!をみている(題名はあえて違えた)。これで一週間が終ったという実感がでてくる。最後は笑って死にたいものである。
  でも昔はサザエさんを6時半?にみて、ある種の悲しみを覚えた。山内節が伝統的な日本人の人間観を悲しい人間と捉えたのを知って、ますます最近はこの悲しみという言葉を頻発しているのだが、サザエさんが終ると(もうはじまった段階で)、翌日が学校だと思うと、憂鬱になったものだった。一週間がいつも、昔の半ドン(午前中だけの授業)の土曜日だらけなら人はどんなに幸せだろうと中学のころには思っていたわけで。しかしイッテQはその点悲しくならない。笑って明日へ移行できる。ということで若人にこれを見るよう勧めているのだが、テレビそのものとの関係の弱い近時の若人はその点でも神か天か陛下に見放されているのかもしれない。
  というわけで、自室の拙者はヘンデルを今日は、一部だが、「アルミニオ」と「パルテノーペ」の二つをユーチューブで聴く。いずれもCDそのものなのだが、ヘンデルにしてはいいように思う。買うかと思うが(ヘンデルも一応全オペラ収集を遠い未来においてめざしているのだが)、全曲はいま触れたようにユーチューブで聴けるのである。それでいいかという気持ちもある。どうせヘンデルだし。でもユーチューブで聴くヘンデルはよく聴こえる。おかしい。
  器楽もいいヴェラチーニのこのオペラ、アメリカから買うと二万七千円。でもアマゾンで日本で4300円。やはり高いと思う。いいはずだが、あ、まずユーチューブで確認するか。でも何カ月もこの値段で躊躇しているところをみると、拙者、この年でも貧乏人だとつくづく思うのである。優等生なのにサザエさんみて、憂鬱になった中学生だもんなあ。
  ちなみに同じ題名のペルゴレージはもっている。思ったほどではなかったのだが。トシエレイジではない。って古い。