panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

j脱力タイムズ一週間


  先週の今日、ほとんど一日かけての研修的会議的研究的集まりで疲労して、憩っている間にまた金曜日。やはり肝臓に難があるようなので、もう酒を飲む場は避けたい。
  でもそのときは半分以上が飲めない人間の集まりであって、まとめ役は飲めるという状況で、そのまとめ役を慰労するためにあえて飲んでみたのだが(だってそうでもしないとその労力に報いることができない)、途中、トイレから帰ってきたらもといた個室が見つからなくて、ほんとにアメリカ映画的迷路にはまったかと思った。居酒屋北海道品川店は広いうえに小部屋だらけで、飛行機で子どもがいないくなるジョディ・フォスターみたいな悲劇的状況は決して絵空事ではないことを悟る。やはり飲んではいけない体なのだなあ。
  ということで今日は閑居、閉居、自己慰労という日にしたい。とはいえ4月からの仕事のスケジュールが次々送られてきて、面接日程だの会議日だのその他その他を今から細かく決めなくてはならない。普段は家にいるときはメールはあまりみないが、みないと職務怠慢・職場放棄になるので見ることが義務になった。うーん。こういう状況は居酒屋自宅横浜店というか、幻想的なまでにカフカ的「城」状況である。困ったなあ。

  馬込からの帰りの車の中で、先日、非常に面白いバッハの番組があって(NHK2)、それが武久源造だった。というより何だか最初からそうではないかと思っていたが、そうだった。結構前のめりな言葉遣いでいまどき珍しいのだが、クリストフォリ(最初のピアノの原型。18世紀はじめ)やバッハの弾いたはずのジルバーマン(どちらも人名)を自分で改造して、バッハもきっと改造してやったような音をつくりだして自分で弾いている。フォルテピアノ系は嫌いだが、ま、あまりに面白い人なので聴くかと思ってみると、やはりユーチューブに山のようにある。
  ポキはCDで買うわけだが、買う前にこんだけあれば貧乏な学生は買う気力をなくすだろう。すでに聴けるわけだから。昔のように昼食をぬいて貯めた金で買いにいくという実は鑑賞の一部の過程を放棄しているわけで、そういうのではクラシックファンにはならない。どの分野であれファンとなるにはある種非合理な信仰たる部分を含む。金がないので金を貯めるという前奏曲がクラシックファンの培養地なのだ。・・・ともあれパルティータを買ってみることにした。
  そしていま気づいたが、どうも武久は盲人である。確認してみたが、そうだ。
  クラシックファンの友人がそばにいないので、そんなことも自分でみつけださなければならないのかとがっかりするが、本もあるのに、どうやって盲目を克服したのだろうか。・・・バルヒァ以来の盲人のバッハ弾きなのだろうか。