panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

解放された、、、のか


  いたいけなポキとしては、久しぶりの休日を職場にきた。今日も雑用があるが、それはあくまで雑用で短時間で終わる。
  車中でこのCDを聴いてきた。まちがってリピートボタンが押されてしまって、繰返しこの曲がかかる。10回近く鳴っていた。はじめてオサリバンのCDを買ったわけだが、歌詞がついている。訳詞もある。こういう曲は原詞を読んでも意味がつかめない。口語体なので。
  で訳詞を読んでいくと、どうも母親が亡くなったことを歌っていることがようやくわかった。そしてアローン・アゲン、ナチュ云々のナチュがナチュラリーと云っているのだということに気づく。65歳という言葉が出てくるのははっきりわかっていたのだが、神が頻発し、不幸な母の死去と取り残された自分というのがテーマだということがようやくこの101歳にして理解された。そういうことだったのか。
  思えば、ポキには20代はなく、ただ本を読んでいただけだった。一年間のロンドン天国時代をのぞけば、ひたすら本を読んで、大した思い出は20代にはない。その前の10代は人並みの思い出にあふれているわけであるが、その一つがこのギルバート・オサリバンだった。
  ただし何を歌っているのか真面目に考えたことはない。曲は大ヒットしたし、いつもラジオで流れていた。これを聴くと、函館の初秋の清潔な(だった)町並みが浮かんでくる。そういう曲で、受験前の緊張感が大気の冷たさに加わって、心身の清潔感を高めるのであったという記憶がある。
  そういえば、落葉のコンチェルトも同じようにヒットしていたのではなかったか。東京の冬のしまりのなさを思いつつ、落ちこぼれの道産子は昔を思い出しつつ語るのであった。アディオス。