panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

構造改革の歴史にあきれる


  今日は久しぶりに自宅で夕食。路地舞茸というのを買ってきて、いつもなら何種類かのキノコと組み合わせて海老タコをいれてアヒージョでごまかすのだが、オリーブオイルが我輩には禁じられつつあるので、味噌汁に舞茸をいれてみる。大根おろしもいれて、昔の母(ただし実母。養母はいない。うーん。久しぶりな表現である)の味噌汁みたいにして、秋を感じてみた。秋というのに暑いけれども。
  今日読むべき本がみつからないので、趣味の読書をひまをみてする。18史略の第1巻はざっと目を通したが、東谷暁(さとし)先生のこの本、ちょっと前の本だが、抜群の面白さである。
  グローバル化以後の日本のエコノミストたちの言説と行動を逐一追って、ばっさり切り捨てている。クルーグマンなどのアメリカの連中も同じ具合にである。我々がマスコミを通じて知ることになる、したがって理の当然として知名度の高い経済学者って、どれもこれもアホばかりであきれる。なんという体たらくであろう。竹中とか中谷とかは当然アホだからいいとしても、東大の某先生とか、ソウケイのあの人この人とか、ほんとに商売として学者をやってたんだなあという暗澹たる思いにかられる。商売としても下手なわけであるが。
  香港研修の影の主役が東谷先生の講演会のようなのよく出席しており、その関係で読んでみたら、驚いたわけである。この分析のやり方は、なつかしいイシューアプローチという政治学の手法による政治過程論と大変よく似ていて、その意味でもなつかしく、かつ驚く。実によく調べてあるし、人物の焦点のあて方も何だか我輩の指導教官を思い出させ洗練されている。見事としかいえない。
  1980年代以降の日本の経済政策、とくに構改派の連中に指導されたネオリベ化に興味があれば、基本的なところは押さえることができるので、有益だと思う。
  ちなみにようやく夜になってHMVが届いた。ケルメスの歌う17世紀ものは地味である。でもケルメスだから少しは聴ける。マーラーのピアノ四重奏はまだ聴いていない。