panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ようやく終るがまだまだ公式的仕事は残っている


  巨泉が亡くなった。82歳。オジ84歳が亡くなってから83歳永六輔が亡くなり、そして巨泉。巨泉には思い出が多いが、万年筆が魅力的だった時代は彼の時代でもあった。すぎちょびれ。でももうその時代はとっくに終っている。・・・ベトナムハロン湾?からの帰りのバスで、巨泉の妻にまつわる話を聞いたのは6年も前のことである。それを思い出した。でもなぜベトナムでカナダの話をしていたのだろう。薄暗くなる夜のハノイまでの国道の旅を思い出す。
  やはり今日も疲れて、食事のあとは知らず知らずに寝ころんでしまった。秋からは木曜日の仕事から解放されるが、たいして喜びはない。また来年の春には木曜日が仕事だ。
  でもいまでも仕事から完全に解放れさたわけではではなく、明日も来週水曜日も大仕事がある。そして来週の火曜と木曜は、半年の成果がどうあらわれるかを見守る日である。うーん。いつまでつづくぬかるみぞ。
  写真はプノンペンの元高校の収容所。ここにつるされたようである。

  さっき篠沢秀夫の本が届いた。巨泉関係で思い出して注文したのだが、意外と彼の研究者としての評価は高いのである。事実、我輩といえばモーリス・ブランショ。その大半の初期の翻訳は篠沢教授だった。だからテレビで初めて彼を目にしたときは孤高の批評家ブランショとのあまりのギャップにギブアップだった。ふふふ。その後、若きブランショはアクション・フランセーズ(右翼的か保守的な思想集団)の一員でしかもユダヤ人だったということもわかってくるのだが、在学中は知らずにいた。大学院の面接でもブランショを持ち出して煙に巻いた記憶がある。記憶というより苦肉、の策?いずれにせよ久しぶりに、今夜はこれからサルトルカミュについての評価を味わってみよう(なお届いた本はこれではない)。