panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

朝の職場に冷房はない----矢野顕子の父は「干渉、束縛、強制」が嫌いだった。NHKファミリー・ヒストリーより


(北海道の漁村。誰かのを借りました)
  朝5時35分に出てくると、まったくスムーズにつく。それでも40分くらい。
  出てきてから今日は大した準備が必要でないことに気づく。ふふふ。老いては子に従え。とつくづく一匹子豚(ロンリー・ピギー)、我輩のことだが何か文句でも?、は思うのであった。
  さて朝から永六輔の逝去がとりあげられている。ラジオで。ラジオの王様だったわけで。あれほど活舌のよかった永先生も晩年はモグモグいうばかりであったが、20年も前の彼の録音が放送されると往時のおそろしいほどの明快な東京弁的発音が我輩を恐怖につきおとすのである。うーん。怖!いまでも言葉の問題は我輩にとって一つの関門である。
  だから故郷に帰ると、人のなり(つまり階層)をみて瞬時にいろいろな言葉遣いをするのであるのだが。言葉くらい凶器はないもんで。そのわりにはいたってベランメエだって?ふふふ。東京でだけですからね。
  永先生とならんで、ピーナッツとならんで、都知事選とならんで、改憲が話題になっているが、自民党憲法改正するってあの草案使うのだろうか。何年も前に起草した。だから右翼とかいわれちゃうわけだ。
  西欧近代対日本的特殊性ではなく、西欧近代をこえる普遍的日本を打ち出すべきというか、それしかない。なんで世界の田舎者、日本のローカリティにこだわるのか。馬鹿ではなかろうか。そうではなく、西欧をしのぐ世界のどこでも否定できないような普遍的内容へむけて改正案を練っていただきたい。
  道徳だの、家族だの、礼儀だの、たかが国家のくせに、われわれに対して「干渉、束縛、強制」するな。自民党の知能ではどうなるのか、そのへんが不安だ。