panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

鴨川食堂にタイをみる・・・・・老化であろうか


  今日は仕事する気にならず、自宅待機・謹慎・蟄居、何とでも呼んでいただきたい。ぼんやりためていた録画を一気に少しみる。・・・一気に?少し?何というチマチマした人生であろうか。
  というわけで、NHK日曜日夜の鴨川食堂を4回目からみる。相変わらずあっちもチマチマした日本的ドラマだが、奇妙な主人公親子と叙情的テーマ音楽と下町?京都とくだらん人情劇なのだが、タイを思い出す。なぜだろう?
  萩原健一がとてもいいというのはもう評判になっているだろうか。清原とあまり変わらない人生だったような人だが、最初の頃はショーケン(というのが通称)だと気づかなかった。演技力と人としての深みがとてつもないくらいあるのではないかとすら思える。写真の主人公の娘こいしもぴったりで、そのくせずっと録るだけでみていなかったのは、東南アジアものだって録るだけでなかなか一人ではみることができないのと同じだ。
  ではどうやってみるかというと、家人1が帰って来たときに強制的に一緒にみる。あっちはカウンセリング・マインドでつきあうが、家人1がほんとに好きなのは暴力的な映画だ。たとえばコロンビアーナとか。エレメンタリーというニューヨークのホームズものも好きなようだが、殺され方は大体凄惨である。相当職業生活に無理がかかっているものと想像される。その点、我輩は一貫して、東南アジア的無「無理」なのである。無無理は蛭子先生の信条でもある。  
  さて、なぜ東南アジアものなどはすぐにみることができないのか。しかし、それが、ノスタルジーというものなのではなかろうか。