panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

悲しみの第9


  職場に来て事務方と話し、了解を得る。そしてある種の悲しみをいだいて戻る。思わず、リッカルド・ムーティの第9なんかを聴く。小さい音量で。
  おんりょう?怨霊ではない。音量。少しは遠慮せい。という場合の音量。ではない。
  ということで、我輩のある時期は終わったのである。終わったおわった。おわします。
  ともあれ、ムーティの若造状態を知っている我輩としては恰幅よくなって権威主義的イタリア文化を体現している今日の彼をみて、時間の経過を知るのである。30年以上前だもんなあ。ムーティなんか屁みたいだと思っていたのは。そして彼も若干屁だったのは、、、、。