panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

とんだ偽装だった


  昼前から英語のイタリア映画をみていたら、とたんに眠くなり、とうとう倒れるほど睡魔に襲われた。倒れるほどと書くと倒れないようだが、さきに既に倒れており、そのまま睡魔のなすがままだった。やはり火曜日、すなわち月曜の仕事の翌日はしんどいのである。ますます疲れの現れが遅くなり、しまいに墓場のなかに持ちこされるまでになると、死んでいるのであろう。
  今日は近世国家について仕事のためまとめようと思ったが、むしろフランス革命がいかに国家構造の再構造化のなかで出てくるかという側面を説明したほうがいいかと思った。フランス革命なら若人も興味があるだろう。フランス革命は当時のヨーロッパ世界の政治危機の一つの結果だが、一つのであって、他にもいろいろ出方はあった。革命だけに目を奪われていると、実は、その本質が絶対王政という近代国家第一段階が第二段階へと変容する際の混乱=契機だったということがみえなくなる。
  ということで久しぶりにフランス革命の事態を追ってみた。覚えているのだが、それは前に読んだ本を読んでいるからで、でも多くの人名を忘れているから、やはり老人ってやあねえ。
  届いたショルティハンガリー人)の魔笛---というか15枚組のモツ君オペラ集---のやはり第二部でいやされる。前にも云ったが、マルティ・タルヴェーラが謳うザラストロが我輩は誰よりも好きなのだった。この深さは他と比較にはならない。ま、よく比較して、大半は淡白な歌唱にちょっち舌打ちしているのだがなあ。