panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

インフル注射の前に


  いかに自分が規則的生活に弱いかを痛感する。これではまるでローマの休日のお姫様ではないかと思う。我輩=オードリー・ヘップバーン(もしくはヘボン)説。ようやく今日になって午後からのインフルなので、若干の安らぎを得る。
  サラリーマンは毎日仕事をしているのかと思うと、暗然たる気持ちになる。人体のリズムや気候の変化にかかわりなく、一律の時間的スケジュールで生きるというのがそもそも間違いだ。平安時代のように大気の移ろいとともに生活のリズムを形成するポストモダンな仕組みを考える必要があるなあ。
  ちなみに今回の帰郷は、父(ちなみに実父。ただしエレキバンではない)の命日にあたっていたので、一人暮らしのアリエッティこと母(ただし実母。地坪ではない。それは測量士)は盲目的に伝統的なお供えをつくる。写真がそれ。
  毎回とは違って半分の量だと言い張るのだが、母はこの、にしめ、ナスの炒めもの、八杯汁、そして赤飯を大量につくる。今回も大量というしかない。したがって、我輩も3,4回、この組み合わせで食事をする。勿論食べる器は普通のものだが、せいぜいこれに漬け物やスジコ、タラコが参加するだけで、繰返し繰返し食べる。食べさせられる。
  鮨や店屋物の天ぷら蕎麦とかはもう跡形もなく遠のき、ひたすら「食わねばね」という強制と使命感と親子愛に燃えて食う。いつもこれだ。自分でつくっておいて、次にはこんなにあるのだから食べなければならないとくる。もっと合理的な人間なら、必要最小限にお供えものをつくるという時代なのではないか。そもそもつくるな。我輩は小豆の赤飯は大嫌いだ(甘納豆なら好きなのである。甘納豆赤飯は北海道の名物なのではないか。しかし伝統におぼれる母ただし実母の場合、そういう例外は1,2度しかない)。
  というわけで、今回は特別な目的があって帰ったので食事に文句をつけるつもりはないのだが、疑似階級的不当利益のたまものである鮨にありついたのは帰京の前日の夜だった。・・・勿論勝負には負けた。、、、負けてやったのさ。

  アリエッティとは似ても似つかないわけだが。