panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

今日もまたリフォーム監視しながら


(富山黒部)
  週末からまだ論文が終わらない。今日もリフォームの中断していたのが再開されるので監視中。といっても監視していると嫌がるし、こういう仕事をしている人というのが我輩はもっとも苦手である。したがってたまにコルクの置かれた方向を正したり、隣の部屋でクラシックかけて(というのはいつも通りなわけだ)、やや遠隔的圧力をかけているのである。接着剤のきつい臭いは我慢して、自室にいるのだが、ただいるわけではない。明日が締切りなのだ。
  締切りは守るという普通の原則にしたがっていろいろやるべきことがあるのである。本文と表の内容が全然違っているのを発見したが、長期にわたって書いているものだから途中で分類に変更が生じているのである。それをだんだん時間がたって忘れているわけである。もう。
  晴れが曇りになり、曇天な秋。昨日のスーパームーンはゴミだしに出た夜10時に眺めた。いつからこんな言葉ができたのか。
  というわけでまるでどこか旅に出たような感じで中断しているが事情は察するように。原則は原則で、他の執筆者は再校時点で出すといっているし、さしもの我輩もどうもリフォーム同様、延長になるかもしれない。うーん。頑張ろう。
  しかし昨日から本格的な仕事はじめだったが、10月にはまた温泉でも行かないともたない感じである。唯物史観の一般公式すら一から説明しているのだが、何度授業で云ったと思ってるんだ。もうヘナヘナと崩れ落ちそうになるし、シートベルトを締めるのはファッスンと発音してティーの字は読まないと何度教えても覚えない。
  いま夜はサルトルのフローベル論『うち(家)の馬鹿息子』を読んでいるのだが、まったくぴったりというべきだろう。人の馬鹿息子たちではあるが。