panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

劣勢の中で見せた「勝つための知性」----スポーツナヴィ紙より転載。

http://sports.yahoo.co.jp/sports/soccer/japan/2015/columndtl/201507020008-spnaviより。


なでしこが“あえて”選んだシビアな戦略

劣勢の中で見せた「勝つための知性」

江橋よしのり 2015年7月2日 20:05

自ら捨てていた試合の主導権

日本は終了間際の相手オウンゴールで勝ち越し。2大会連続となる決勝進出を果たした【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
「気持ちの強いほうが勝つ」と、宮間あやはいつもまっすぐ前を向いて言う。その言葉が単なる精神論ではないと、この試合でよく分かった。

 FIFA女子ワールドカップ(W杯)カナダ2015の準決勝、なでしこジャパンイングランドの試合は、前半お互いにPKを獲得して1−1で折り返し、後半アディショナルタイムイングランドのDFラウラ・バセットのオウンゴールで決着がついた。勝者の表情にはまるで梅雨の晴れ間のような明るみが射し、敗者の心は灰色の雲で覆われた。

 まさかの結末でW杯2大会連続決勝進出を果たしたなでしこジャパンは、この試合の早い段階で、ある重要な決断を下していた。彼女たちは、試合の主導権をあえて捨てるという大勝負に出たのだ。

 イングランドは右サイド8番(ジル・スコット)のヘディングを起点に攻めようとしている。そのことは試合開始直後から明らかだった。マークするのは、ポジション的に左サイドバック(SB)である鮫島彩の役目だったが、そこで競り負けるとゴール前中央が危険にさらされる。パワー勝負を仕掛ける相手に対し、先に失点すればなでしこの勝ち目は遠のく。

「だから前半の途中で、割り切ったんです。8番に入るボールには(宇津木)瑠美と自分で対応し、DF4人は背後をカバーするように切り替えました」

 宮間のその決断が、勝敗を分ける重要なポイントになった。

 いい流れで試合を運べていたここ2試合よりも、選手全体を後ろに下げる戦い方。当然、大儀見優季大野忍のFW2人は、相手ボールを前線から追い込むこともできなくなる。普段のなでしこの問題解決策が、問題を遠ざけることに重きを置くものだとすれば、この日は問題に飛び込み、真っ向から立ち向かう道を選んだ。ロングキックで来るなら来い。1人で足りなければ2人で、2人で足りなければ3人で、力を合わせて、すべて跳ね返してみせるから。


ピンチに耐え、ワンチャンスの訪れを待つ

勝敗を分けたのは、宮間(右)が下した「試合の主導権を捨てる」という決断だった【写真:USA TODAY Sports/アフロ】
 一方のイングランドは、こだわりを貫いた。DFの有吉佐織は、相手の執拗(しつよう)な攻撃に晒されながら、こんなことを考えていた。

「私たちが引いた後も、イングランドは同じパターンで攻めて来ました。引いた後、逆に中盤でパスをつながれるほうが、私たちは嫌だったと思います」

 連続するピンチも、パターンが分かっているだけに、なでしこはなんとか持ちこたえることができた。もしイングランドが攻撃スタイルを柔軟に変化させていたら。たとえば、日本人のようにテクニックと判断力で勝負するMFジョーダン・ノブスを投入されていたら。勝負の行方は違っていたかもしれない。

 33分に宮間がPKを決め、なでしこが先制するも、7分後にはイングランドもPKで追いつく。1−1でゲームは後半に入った。

 時間が進むと、イングランドの選手も足をつるなど、疲れが見えてきた。なでしこも中盤は間延びしたが、逆にスペースを使ったパスが通るようになった。なでしこに勝機が訪れるとすれば、相手の足が止まった終盤、岩渕真奈の投入で流れを変えること。そして、疲れた時間帯でも精度が落ちない「技術のスタミナ」でワンチャンスの訪れを待つこと。そして、それらは本当にやってきた。


呼び込んだチャンスを生かして決勝ゴール

右サイドに走り込んだ川澄の低く速いクロスから決勝ゴールが生まれた【写真:中西祐介/アフロスポーツ】
 アディショナルタイムも残り1分。中盤でこぼれ球を拾っては拾われ、というプレーがいくつか続いた後、熊谷紗希から川澄奈穂美へパスがつながる。「ボールを奪った熊谷選手が一瞬の判断で、横にいる有吉選手じゃなく、前にいる私に当ててくれた」と川澄。熊谷の隙のなさと、川澄のポジショニングのうまさが、なでしこにチャンスを呼び込んだ。そしてこの瞬間から、駆け引きの先手と後手が入れ替わった。

 川澄がボールを受けると、相手SB(クレア・ファラティ)が下がっていった。もし食いついてこられていたら、川澄は1人で前に仕掛けるのでなく、周りを使うプレーを選択しただろう。同時に中央では大儀見と岩渕が、ゴール前めがけて全力で地面を蹴っていた。

「中に2人(大儀見と岩渕が)いたので、絶対にクロスを上げよう!」。そう決めた川澄が速いボールを折り返す。浮き球ではなく、大儀見の走り込む先に合わせた低いボールだ。大儀見が触る前にいち早く、DFバセットは必死で足を伸ばした。だが渾身のクリアは、クロスバーに当たってインゴールにたたきつけられた。


涙を抑えることのできないバセット

オウンゴールを献上したバセット(右)。試合後、失意のあまり健闘をたたえ合う輪の中に入れなかった【Getty Images】
 なでしこがこの日選んだのは、劣勢な展開でも勝ちを拾うためのシビアな戦略だった。宮間の言う「勝ちたい気持ち」は、「勝つための知性」と言い換えていい。この結果、なでしこジャパンは2011年ドイツW杯、12年ロンドン五輪に続いて、世界大会3度目の決勝に駒を進めた。対戦相手は、やはり3大会連続で米国だ。決勝戦は7月5日(日本時間6日)、バンクーバーで行われる。

 戦いを終えて、両チームは互いに健闘をたたえ合った。だがバセットは、その輪に加わることができなかった。ベンチで頭からタオルをかぶり、涙を抑えることのできない彼女に、ノブスが優しく寄り添う。彼女の心に雨が降るならば、せめて私が傘になる。ノブスは肩を差し出し、バセットを一足早く悲しみから遠ざけるために、ロッカールームへと向かい始めた。そこにFIFAの女性スタッフ2人が歩み寄り、短い言葉をかける。4人の女性は並んで歩き、ゲートの向こうに消えていった。

 試合後の記者会見を取材し、メディアルームでいくつかの原稿を書き終えると、現地は夜の11時を回っていた。日の入りが遅いこの季節のエドモントンの空も、すっかり暮れていた。ふと顔を上げると、この日、7月1日のカナダ建国記念日を祝う花火が、遠くに打ち上げられていた。