panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

一家なのか友愛なのか。どうちがうんだっけ?蛭子先生!----大英帝国をやぶる

(写真は今回の勝利のではない。)
  朝10時過ぎ。もう少しででないといけない。仕事日である。でもこうして歴史的な観戦ができるのはありがたい。
  イングランドは近代の覇者である。世界の支配者だったが、その支配が狡猾で暴力的であったように、サッカーも暴力的だった。かなりファールが多かった。そして相変わらずロングパスが多用された。そういうサッカーだったが、意外と強かった。後半はイングランド・ペースだったろう。
  でも審判がまた節穴で、イングランドが一点入れたところの日本のファール(オオギミによる)はまったく、審判自身の心理的な補償のようなものだった。さきに同じPKで日本が一点入れたことに対する審判の迷いみたいなのがあったように思う。そうやってバランスをとるというか。あるいは端的に白人びいきだったかもしれない。その意味では1-0で日本が勝ったという試合だったかもしれない。
  しかしやはり強いチームとあたると日本の華麗で正確なパス回しができないのだなあ。イングランドは荒々しくはあったが、ロングパスは正確だし、シュートは怖いくらい威力がある。どうにか勝ったということなのだろうか。専門家はどういうのか。
  勝ちは勝ち、価値だ。結果がすべてだという表現はサッカー起源の進化論的というか勝利者史観だ。だからもう勝ってしまった以上はどうでもいい。次のアメリカ戦で勝てば、すべては実力の勝利、勝つべくして勝ったということになり、豊臣秀吉的世界がやってくるだろう。
  ともあれ後半の最後の10分はみていられず、届いたハイドン弦楽四重奏全集(弦楽四重奏の全集はこれが初めて)を聴きながら、本も読みながら、ときどき頭をあげて観戦するというちぢこまった姿勢であった。2点目がアディショナルタイムに入ったときは、だから何が何だからまったくわからず、興奮してしまった。そういう口吻(こうふん)が文章には出ていないかな。もほほ。
  いずれにしても、なでしこジャパンの笑顔は、どこにもないものだという印象である。一家であろうが友愛であろうが、日本の現在の唯一の救いのように思えてくる。たとえば辻邦生の「パリの手記」が大学生時代の我輩の救いであった以上にである。