panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

自分のところの若人たちがどうしても他のところよりもアホにみえる


  このブログをどう書いているかというと、まず写真を適当なのを集めてあるところに保存し、その上でこれを最初にブログに移しかえる。その後、表題を書き、内容を書き始める。
  その結果、途中で写真、表題、内容が乖離することがある。間々ある。まあまあ。
  だから内容だけなら簡単に書けるのだが、全体として時間を食うのである。今日のように疲れた日には。
  かくしてもう写真と表題と内容が完全に乖離している。なんとかしなければ。
  まず今日は仕事日である。大きな部屋と小さな部屋。我輩がより責任をもって担当するべき小さな部屋の若人がどうしてもアホである。何といっても中国人的無表情だし、打っても響かない。真性のアホなのかもしれない。大きな部屋の一部には反応がいい、表情のある、真剣な若人もいるのだが。毎年、わが担当の部分が他よりどうかしているのではないかと思うときがある。・・・そしてそれはきっとあたっている。悲しいことに。
  ともあれ最近、夜はモツ君バイオリンソナタフランク・ペーター・ツィンマーマンのバイオリンで聴きながら眠る。いい演奏だと思うが、我輩のこのソナタ群への思いはもっと深い。なぜかというと、バイオリンソナタは正確にはバイオリン伴奏付きのピアノソナタと題されており、主役は実はピアノだからだ。ピアノがよくないとダメなわけだが、我輩がこれに開眼したのはリヒテルによっである。しかも彼のピアノよりバイオリンのオレグ・カガンが圧倒的な演奏だった。
  カガンは演奏後、若くして白血病で世を去るのだが、このバイオリンの音色はただならぬものがある。もしかして音楽としてはギリギリのところかもしれない。魂の震えなのか腕の衰えなのか分からないようなビブラートがこの世のものとも思われぬ音楽世界を生んでいる。
  これはモツ君の演奏としてはどうなのか。でももう聴いてしまえば、これ以上の明るい演奏がアホにみえる。小さい部屋の、、、音楽みたいな感じに。
  我輩のもっているのは古い版ので、新しい2枚組のが出ていることを今回発見。さっそく購入手続きをとった。同じものなのだが、ま、無くすこともあるから。
  ということで、これは安いし、関心があればぜひもっておくほうがいいと思う。