panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

中年紅葉おばさんバルトリの聴き方


  中東情勢が最悪の状態になっている日曜日朝。マレーシア行きの連絡がないので、切符も買いにくい状態にある日曜日昼。と刻々と時間が過ぎていく。時間のこの民主性が気にさわる。そんななかで我輩の関心がバルトリについての疑問であるというのはいかにも申し訳ない。
  バルトリの歌い方は濃厚である。好きかといわれると唸ることになる。グルベローヴァなどの声や歌い方のほうが好ましいとは思うのだが、バルトリにはどうも知性がある。そのためにいろいろな発掘を行う。知的探検のことだが。
  前に紹介したこのアルバムはロシア帝室に保管されていたお雇い外国人作曲家(多くはイタリア人)のオペラを発掘して、世界初録音をした11曲の作品を並べたものである。
  浩瀚(こうかん)な説明書によると、アンナ、エリザベス(ロシア語では何というのか)、エカテリーナの三女帝の時代のオペラ振興の結果として残された未公刊?楽譜をもとに一部を選んでメゾソプラノ用の歌曲(一曲をのぞいて)を紹介したものである。
  前にはカストラート(去勢歌手)のアルバムをつくったりしているし、バルトリが知的な歌手だということはわかる。人気も実力もあるのだが、山村紅葉が肉食化したような迫力と押しつけがましさがないとはいえず、なんともとうしては聴きにくい。
  そこで後半は7曲目から順次聴いていき、終曲にいたって前にもどり、6曲目、5曲目、4曲目と順に前に戻るというやり方で全体を聴いた。後半はあわただしい曲がなく、聴きやすい。前半では、全体でもっとも長い3曲目はパウラッハというドイツ人の作曲で、これがもっともいい曲なので、ここで終わるということになった(この曲は1月22日のブログで紹介したもの)。つまり1,2曲目が苦手だということがわかった。
  ともあれ解説だとロシアに花咲くバロック音楽という触れ込みだが、楽想としては前古典派である。バロックはこういうふうに感情が解放された音楽ではない。むしろ人間的感情がかなり抑圧された感じのする作品が多い。
  イタリアの楽団と歌手が歌う世界初録音。イタリアの楽団がクラシックで活躍することは結構なことだし、そもそもバロック時代をつくったのはイタリア人だが、古楽の演奏では現在では「学識」が必要なので、従来イタリアは弱かった。ようやく最近になってイタリアの楽団も世界的になっている。でももう少し今回の場合は、情緒纏綿(てんめん)たるバルトリ的とろけるチーズ風でなくてもよかったのではないか。さらっと流しても面白かったように思える。
  というわけで音楽の好みも大袈裟で速くて強弱のはっきりしたものから、もっとさらりとしたものに移行している自分を感じる。時間の民主性の果てに、、、とうとう、昔は凡庸だと思ったような演奏が好ましくなってしまった。・・・まずいんでは?

  これは前作の「犠牲」というのだろうか、カストラート音楽のアルバムから。激しく攻撃的で圧倒的で、ちょっといわゆる一つの引いてしまうような歌唱なのである。アルバムの絵は彼女がカストラートになっているというもの。