panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

ロカテッリ、ヴェラチーニ、ルクレール


  朝早い。目が覚めた。昨夜、祝杯を肝臓値の回復であげたからではないか。とはいえ、ノンアルコールビールしか冷蔵庫に入っていないので、酔ったわけではない。ウィスキーも酒も銘柄焼酎も埃をかぶって冷蔵庫の外に置いてある。うーん。どうでもよぐね、みたいな惨状である。
  バロック後期から前古典派にかけての室内ソナタ、とくにできればリコーダーかフルート関係のCDを家と職場にあるのから集めてきて聴くことが多くなった。その結果、いまのところロカテッリが一人負けで、コレルリ系統はダメだと感じる。ロカテッリ(ロカテルリ)はコレルリの弟子かその影響があるように思う。大巨匠コレルリ自体が静態的で、溌剌としていない。というかずいぶん長いこと聴いていない。
  ともあれリコーダーの音色が最近とみに気に入り、この時代を最後にもうクラシックからは姿を消すので、惜しいことをしたように思う。小学生の教育用になって久しいが、我輩もたまに吹いている。・・・ほんまやで。アルトリコーダーなのですぐ飽きる。キンキン声の授業を聞くような按配なので。ほんまに。
  ともあれルクレールは有名だからいいとして(モーリス・ルクレール楽団という映画のサウンドトラック時代?の有名な楽団のルクレールと同じ名前)、ヴェラチーニは我輩には近年の発掘である。バッハにくらべるとどの音楽家の旋律も深みに欠けるが、ヴェラチーニはかなりの線をいっている。・・・でも短調はどの人の曲でも心がふさぐ。演奏家短調が好きなようなのだが。とくにモツ君なんかは演奏家はあまりに短調偏重だが、それほど短調がいいのか。と思う盛夏の早朝。そろそろ家人2を起こさないと。