panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

採点競技という白人社会最後の砦

  
  今日ようやく採点業務を終えた我輩であるが、気づけばあたりは採点競技目白押しのオリンピックである。冬のスポーツの祭典ね。
  ま、標題通りのことを論証するのはむずかしいが、そうなのではないだろうか。アホな韓国人や中国人は許しても(はなから相手にする必要もないと彼らが考えているともいえるが)、日本人だけは許さないという白人上層階層の意向は、ルールと彼らが呼んでいるものの自分勝手な変更の連続からもうかがえるのではないか。ルールというのが聞いて笑えるが、中韓はああだし、白人もこうだしという地球世界のなかで、普通の日本人は公正さという見果てぬ夢を戦後もおそらく戦前も追ってきた。
  でも相手は中国もびっくりな白人社会である。彼らのこしらえたオリンピックのメダルなんか、とうにどうでもいいと考えるべきではないのか。オリンピックのテレビはまったくみる気にならないが、ロシアだってヨーロッパには煮え湯を飲まされてきたともいえる。そんなロシアに煮え湯を飲まされている日本人としては、一層オリンピックなんてどうでもいいと云ってみたいとは思わないのだろうか。
  こういうのを素直に眺めることのできるリミットをもうとっくに越えている自分を感じて、夜の静寂(しじま)に響くモーツァルトにすらあたりたくなる情けなさ・・・・・みつを?