panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

贅沢な悩みに悩む


  ニコラーエワの何枚組かが滞っているせいで、他のCDも送られてこない。2,3日で到着みたいなHMVの惹句にまんまと引っかかったかもしれないが、その何枚組かのなかには、お目当ての平均律も含まれているので、仕方ない、待つとしよう。マルクジンスキーの組物はもう現物があるということなのだが。
  さてまた職場である。連続3日もくると、もういい加減にしてほしいと思うが、4時から自分の報告があるので、仕方ない。報告が終わったら即帰宅である。閉塞令が出ているので。
  明日までに推薦しなければならないので、4年間(2年間?)の成果が結集した2万字の文章を読んでいる。結局一つしか推薦できないので、苦しい。今年はどうしたことか、力作揃いだし、場合によっては独創的に見えるものもある。同一線上にある場合は伸びしろとよく人のいうところを評価すべきなのか、もともと安定した力量がそのまま発揮されたものを評価すべきなのか、それともその他の普段のリーダーシップなどを加味して評価すべきなのか。いずれにしろ、迷うというまれな体験をしているのである。
  この人々とはフィリピンに行ったのであるが、フィリピンに関するものは一つもない。タイが一つ、台湾が都合二つである。あとは「空気」「物流」などなど。
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  ちなみに、関連はないかもしれないが、大学と企業の関係ということで日経が特集を組んでいるようである。日経はとっていないので内容は不明だが、昨日メールで知った。大学は変われるか?というテーマらしいが、これは実情を知らない人、つまり記者も不勉強なので知らないのだろうが、大学はもうとっくに20年前とは相当違っているし、30年前の大学からすればいまの大学は大学とは呼べないかもしれない。あれ(30年前の大学)はちょっとした高級流刑地だった。代用監獄というか。そこで各々がふてくされながら、悶々と、黙々と何か考えるというところだったのである。少なくとも地方の国立大は。それができない人々は大学にいる必要はなかった。というか東京のレジャーランドと当時から呼ばれた大学と都会を満喫していればよかったのだ。
  しかしいまでは、大学はよくいえば(よくいえば?)何とかヒルズのようになっていて、慌てふためく大学人が営業よろしく右顧左眄(うこさべん)しているのである。学生に対して、社会に対して、企業に対して。
  私の見解では、戦後の大学は外部社会のいうがままに、ずっと変わってきていたのである。その自律性のなさがこんな醜態を引き起こしているのである。大学は基本的な部分では変わる必要はなかったと私は思う。新設の頭のなかが空気となった若人用の大学だけが社会的大学?となればよかっただけだ。古い大学はそのままにしておいたほうがよかったのではないかと思う。自由に自律的にやる学生はそういう大学で十分満足していたのだから。
  大学には社会のいうことをほいほい聞くべき専門とそうでない専門がある。その点の細かな詮議もなく、絨毯爆撃のように大学を変えるなど、もう大学のジェノサイドではないか。・・・とずっと思っている私なのであった。、、、相変わらず絶対少数派でしょうか?・・・でもその結果、学者らしい学者はもう大学にはいないのだがなあ。どこかに隠れた(れている)のだと思う。
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  お恐れながら、前に云ったかもしれないが、右顧左眄は私の座右の銘である。いつかは右顧左眄しようと思って数百年、なかなか見果てぬ夢なのである。右顧左眄には当然、技能がいるわけで、、、、。たとえば、、、こんな?

親日国タイの反応より)
  うーん、それにしてもこんなことを書いてる場合ではなかった。レジュメをレジュメ。