panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

人は衰える

  今回の京都行は、ある種の専門的な会合であり、昨夜はお祝いもかねた会合があった。3次会でとうとう仕方なくハイネケンを飲む。二次会から高いバーに行っているので、小瓶ハイネンケンが800円もするのか。ベトナムだと最高して150円ってとこか。さて飲まないこともできたが、人に合わせることも必要だし、帰国後初のビール(結果、全然寝つけなかったのだが)。でもまわりの様子をみながら酒を飲むというのは、まことに苦しい。業務としての飲酒はまっこと体質に合わない。というか、合う人はいないか。
  我輩は高学歴者が苦手である。話がまじめで飛躍がない。他方、低学歴者もある種の人々は苦手である。イッキイッキとか云ってるような連中は。でもはっきりいって、我輩の心中の苦しさからいうと、どっちもどっちである。停滞する会話も嫌だが、紋切り型の話も嫌だ。しかし、こういうふうにいっていると、不思議と、あたかも我輩が、文句の多い料理屋みたな印象を与えるかもしれないが、そんなことはない。
  ただ自分が高学歴者社会の一員なのではあるが、ストレートにそこに所属しているという感じはずっとない、ということにすぎない。慎重でまじめはグズに通じるし、軽快でホイホイは軽薄に通じる。グズでもない(高学歴者)、軽薄でもない(低学歴者)、そのどっちでもない何かの均衡が我輩のめざすところだということなのである。
  ま、そういうことで相当疲れたが、もうこういう会合は20年くらい結構という印象。さらば、京都。
  標題についてはいずれまた。ゆく川の流れを流れる水は同じではない。