panachoの日記

辺境アジアからバロックオペラまで

南洋、南方、東南アジア

  戦前の用語は南洋、南方。戦後はイギリスの東南アジア軍司令部(セイロン)の名を借りて、東南アジア。このブログでは東南おおアジア(かつては東南ああアジア)。
  『観光人類学の挑戦』講談社、2009年を読む。観光と移住が対立する概念でなく、いまや同じ線上の概念になったということが述べられている。世界遺産の問題(バリ、麗江)、マレーシアのロングステイ、国際結婚(日本人がアメリカなどに、フィリピン娘が日本に)、マレーシア・サバのエコ・ツーリズムなどが対象になって、ほぼ我輩の射程範囲内だが、参考にはなるが、何一つとても面白いという章がない。どうしてか。
  そもそも観光学、観光社会学、観光人類学、観光文化学などいろんな名称が乱立している。観光一つとってもこんな具合であるが、これって、対象・テーマ・人員の広がりでもあるが、他方では、何でもどうでもどうなってもいいという調査研究自体の価値下落にもつながりかねないのではないか。言葉の問題はきちんとしておいていただきたい。
  でも薄味でガイドブックに毛のはえた程度の調査ではなあ。東大の先生だったヒトなのだが。